氷河期を支えた人々
バブル経済とは、経済が一時的に起こした「核融合」のようなものだった。
過剰な熱と期待が一気に集まり、制御を失い、そして崩壊した。その崩壊は静かな失速ではなく、まさに爆発だった。
その後に訪れたのが、いわゆる「就職氷河期」である。
成長の余熱もなく、次のエネルギー源も示されないまま、社会に放り出された世代がいた。
彼らの多くは、夢を語る余裕を持てなかった。
「やりがい」よりも「働けるかどうか」
「理想」よりも「生活できるかどうか」
そうやって基準を下げ、声を抑え、
「しょうがない」という言葉を何度も自分に向けながら、社会の底を支え続けてきた。
この世代がいなければ、日本社会はもっと早く崩れていただろう。
賃金が伸びず、評価も与えられず、それでも現場を回し、インフラを保ち、家族を養い、税を納めてきた。
彼らは「失われた世代」ではない。
むしろ、失われそうになった社会を、失われないように支えた世代である。
問題は、今である。
この人々を、安価な労働力として使い続け、自己責任の言葉で片づけ、存在を透明化するなら、それは二重の搾取だ。
経済は結果だけで成り立たない。
耐えた人間の時間と人生の上に成り立っている。
忘れてはならない。
氷河期を生き抜いた人々は、社会の負担ではない。
社会の基礎であり、宝である。
恩に報いるとは、同情することではない。
正当に評価し、正当に守り、正当に未来を託すことだ。
日本は、そろそろその覚悟を問われている。



