草の葉と尊厳の宇宙
ホイットマンの『草の葉』を読むとき、そこに書かれているのは詩でありながら、実は一貫した思想であることに気づく。
それは、「人間の尊厳は、誰かから与えられるものではなく、存在そのものに宿っている」という思想だ。
草は選ばれない。
努力して評価を勝ち取ることもない。
それでも草は生える。
踏まれても、刈られても、再び芽を出す。
ホイットマンはこの姿に、人間存在の本質を見た。
人は社会の中で、役割や評価によって自分の価値を測ろうとする。
だがそれは、本来の尊厳とは無関係だ。
尊厳とは「役に立つか」「認められるか」の前に、生きているという事実そのものに含まれている。
ここで重要なのが「一念」である。
一念とは、心の最奥にひそむ、生きようとする力だ。
それは言葉になる前、思考になる前に、すでに存在している。
草が芽を出すとき、「意味」や「目的」を考えないように、人の一念もまた、理由なく湧き上がる。
近年の物理学では、宇宙の本質は物質ではなく、エネルギーや情報、さらには観測そのものにあると考えられている。
この視点で見れば、人の一念もまた、宇宙の運動の一部だと言える。
私たちは宇宙の外に生きているのではない。
宇宙が、人という形で一時的に表現されているにすぎない。
ホイットマンが「私は私を祝福する」と高らかに歌ったのは、自己中心的な肯定ではない。
それは、宇宙が自らを肯定している声に近い。
一人ひとりの命が、草の葉の一本として、同じ宇宙の地平に立っているという宣言だ。
死についても、彼は恐れない。
死は消滅ではなく、変化である。
肉体は土に還り、土は草を育て、草はまた命をつなぐ。
個としての「私」は終わっても、一念の流れは途切れない。
尊厳とは、守られるべき概念ではなく、すでに在る真実である。
忘れられ、否定され、踏みにじられても、それは消えない。
草が生え続けるように。
『草の葉』は語りかけてくる。
あなたが小さく見えるときほど、あなたは宇宙と直結しているのだと。
あなたの一念は、今日も静かに、世界を押し広げているのだと。



