親という深さ
親というものは、不思議な存在だ。
我が子に対する慈愛は、生涯にわたって尽きることがない。どんな状況に陥ろうとも、どれほど時間やお金を注ぎ込もうとも、親の中では「何かを失った」という感覚がほとんど残らない。まるで最初から、与えることが前提で生きているかのようである。
そこに見返りはない。計算もない。回収という発想すら存在しない。ただ、無条件に差し出され続ける。それが親の愛だ。
子は成長し、やがて親元を離れ、自立していく。しかし慈愛の深さにおいて、子が親を超えることはできない。これは能力や努力の問題ではない。立っている場所が、最初から違うのだ。子は受け取る側として生まれ、親は与える側として始まる。この非対称性は、最後まで覆らない。
だからこそ、子にできることは限られている。親と同じ深さに到達することではない。親が向いていた「先」を、自分も向くことだ。誰かのために、次の世代のために、損得を超えて手を差し出すこと。
親の慈愛は、超えるものではなく、受け取り、受け渡していくものなのだ。
それが人間という存在に残された、静かな希望なのかもしれない。



