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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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日本のテレビ報道にみる「真実」の不在

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日本のテレビ報道にみる「真実」の不在〜歪んだ鏡が映す国の末路

現代の日本の茶の間において、テレビが映し出す景色はもはや「現実」を映す鏡ではない。それは、スポンサーという経済の論理と、権力という政治の意向によって精巧に加工された「虚構の安寧」に過ぎない。事実に基づき、真実を追求するというメディア本来の役割を放棄したテレビ報道の衰微は、今や必然の結果として私たちの前に立ちふさがっている。

1. 「公平性」という名の思考停止
放送法が掲げる「政治的公平」という言葉は、現在のメディアにおいては、真実をぼかすための免罪符として機能している。異なる意見を単に並べるだけの「両論併記」は、どちらがより事実に即しているかという検証を放棄させ、視聴者を「どっちもどっち」という冷笑的な無関心へと誘い込む。そこに権力を監視する鋭い眼光はなく、あるのはただ波風を立てぬよう振る舞う「忖度」の姿勢だけである。

2. 権力と癒着する「記者クラブ」の閉塞
日本独自の「記者クラブ」制度は、今や権力者にとっての巨大な広報装置と化している。特定の記者たちが情報を独占し、当局と馴れ合うことで、厳しい追及の声は封じ込められる。横並びの報道は、国民から批判的な思考力を奪い、国を誤った方向へ導く決定を「空気」で承認させる土壌を作ってきた。この閉鎖的な空間から、国の未来を左右するような本質的な議論が生まれることは、微塵も期待できない。

3. スポンサーに買い叩かれる「知る権利」
民放メディアの構造的な欠陥は、広告収入への過度な依存にある。企業にとって不都合な事実は、報道番組であっても慎重に排除され、視聴率を稼ぐための安易な娯楽やスキャンダルがその穴を埋める。国民が本当に知るべき国の危機や構造的な欠陥よりも、スポンサーの利益が優先される構造において、「国民の知る権利」は等閑視されているのが実情である。

責任なきメディアが招く「国の衰退」

メディアが権力のチェック機能を失い、国民に正確な情報を提供しなくなれば、民主主義は根底から腐敗する。日本を傾けてきた責任の一端は、間違いなくこの機能不全に陥ったテレビ報道にある。事実を直視せず、真実を追い求めないメディアが淘汰されるのは、自由な情報へのアクセスが可能となった現代において、自然な摂理と言えるだろう。
私たちは今、テレビが提供する「加工された真実」を拒絶し、自らの足で事実を探し、思考する勇気が問われている。