濁流に投じる一石
「真実かどうかわかりませんが」。そう前置きさえすれば、何を語っても許されると思っているのだろうか。選挙戦が熱を帯びるにつれ、ネットの海には出所不明の噂話が泡のように浮かんでは消える。
情報の真偽を確かめる手間を惜しみ、ただ「拡声器」に徹する人々がいる。その指先一つで放たれた言葉が、誰かの名誉を傷つけ、有権者の眼を曇らせていく。たとえ悪意はなかろうと、不確かな情報を垂れ流す行為は、民主主義という名の精密機械に砂を放り込むも同然だ。
かつて言葉は重いものだった。公に発せられる言葉には、責任という裏付けが求められた。しかし今や、責任を免責事項の裏に隠し、扇情的な物語を消費する風潮が蔓延している。これを「国を損なう行為」と断じる憤りが生まれるのも、無理なからぬことだろう。
選ぶという行為は、信じるに足る事実の上にしか成り立たない。情報の濁流に呑み込まれないためには、立ち止まる勇気が必要だ。怪しげな「真実」に飛びつく前に、一呼吸置いてその出所を問う。有権者の知性が試されるのは、投票箱の前だけではない。



