二元論の向こう側に、真実は静かにある
私たちはつい、物事を「あり・なし」「得・損」「正しい・間違い」で判断してしまう。
それは脳にとって楽で、早く、分かりやすい。けれど、その瞬間に、世界は驚くほど薄くなる。
現実は本来、白と黒ではできていない。
そのあいだには無数の灰色があり、矛盾があり、葛藤があり、理由がある。
しかし「あり・なし」を決めた瞬間、それらはすべて切り捨てられる。
判断は下せても、理解には至らない。
二分法は一時的な決着を与えてくれる。
だが根本には触れていないため、問題は姿を変えて何度も戻ってくる。
まるで、床に落ちた水を拭かずに、ただ見ないふりをしているようなものだ。
そもそも、真実や本質が表面に現れにくいのには理由がある。
現代はノイズが多すぎる。
声の大きな意見、派手な数字、分かりやすい結論。
それらが「静かなもの」をかき消してしまう。
さらに、本質はたいてい遅れてやってくる。
今、目に見えている結果は、過去の選択の断片に過ぎない。
本当の影響は、数年後、あるいは十年後に、ようやく輪郭を持つ。
だからこそ、「あり・なし」で判断したくなったとき、少し立ち止まる必要がある。
問いを変えるだけで、見える景色は変わる。
「今、得か損か?」ではなく、「この選択は十年後に何を残すか」。
「何が起きたか?」ではなく、「なぜ、そうなる構造が生まれたのか」。
「好きか嫌いか?」ではなく、「この反応の奥で、何を恐れているのか」。
問いを深くすると、答えは派手さを失う。
だが代わりに、確かな重みを持ち始める。
サン=テグジュペリは言った。
「大切なものは、目に見えない」と。
真実も同じだ。
それは、言葉にしにくい違和感や、誰も注目しない細部、
あるいは胸の奥に残る小さな引っかかりとして存在している。
世界を単純化しすぎないこと。
急いで結論を出さないこと。
その姿勢こそが、本質に最も近づく方法なのかもしれない。
真実は、いつも静かな場所で、こちらが気づくのを待っている。
作品名:二元論の向こう側に、真実は静かにある 作家名:タカーシャン



