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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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空間の奥底にある一念 ― 私たちはどこから世界を生きているの

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空間が本当は分断されていないことを示唆している。

表面では離れて見えても、
その奥底では、すべてが一つの膜のようにつながっている。

生命や意識も、
この深いレベルの「つながり」と無縁ではないのではないか――
そんな仮説が、真剣に研究されている。

孤立した「私」という感覚は、
空間の表層だけを見ている錯覚なのかもしれない。



私たちは、空間の波を泳いでいる
さらに最先端の理論では、
世界そのものが、空間の震えとして描かれている。

超弦理論によれば、
光も、重力も、物質も、
そして「あなた」も、
高次元の空間が奏でる振動の一形態にすぎない。

弦の震え方が変われば、音が変わる。
同じように、空間の震え方が変われば、
石にもなり、星にもなり、心を持つ存在にもなる。

存在とは、
固定されたものではない。
空間が一瞬、そう震えた結果なのだ。



空間こそが、創造主
空間は、ただの空白ではない。
エネルギーを供給し、
形を与え、
時間を刻み、
運命の輪郭を決めている。

私たちは、空間の中に住んでいるのではない。
空間という巨大な海に浮かぶ、ひとつの波なのだ。

その海が静かに揺れているから、
今、ここに立ち、考え、感じていられる。

足元の地面。
目の前の何もない空気。
それらは決して無ではない。

それは、
恐ろしくも美しい、
生命の源そのものなのである。


空間には、内と外がある

私たちは空間を「広がり」として見ている。
距離があり、上下があり、星が浮かび、身体が存在する場所。
それが空間だと、疑いもなく信じている。

だが、もしその理解が、空間の外面しか見ていないとしたらどうだろう。

近年の物理学と意識研究は、
空間には「見えている側」と「見えていない側」、
二重の顔があることを示し始めている。



私たちが「内側」だと思っている世界は、外側の写し絵かもしれない
ホログラフィック原理と呼ばれる考え方がある。
それは、今私たちが三次元の立体世界として体験しているこの空間が、
実は宇宙の境界面に記された情報の投影にすぎない、という理論だ。

内側だと思っていた世界は、
実は外側に書かれた情報が映し出された像。

出来事も、物質も、時間の流れさえ、
すべては「境界」という外面によって定められている。

ここでは、内と外が逆転する。
私たちが中心だと思っていた場所は、
実は“映っている側”なのかもしれない。



空間の内面は、意識に近い
もう一つの「内面」は、
空間を意識や情報の源泉として捉える視点だ。

最近の理論では、
ビッグバン以前に「意識の場」や「情報の海」が存在し、
そこから時間・空間・物質が生まれたと考えるモデルも現れている。

この考え方では、
距離や運動を伴う空間は外面であり、
すべてをつなぎ、意味や秩序を生む層が内面となる。

私たちが瞑想や深い集中の中で感じる、
「自分の内側に広がる無限」は、
単なる心理現象ではないのかもしれない。

それは、
空間そのものが持つ内面性に触れている感覚なのではないか。



見える現象は、見えない編み方で決まる
リンゴが落ちる。
星が回る。
生命が生まれ、老いて、消える。

これらの現象はすべて、
空間の「外面」に現れた結果にすぎない。

本当に世界を動かしているのは、
空間の内側にあるゆらぎ、密度、情報の配置――
いわば、織物の糸の編み方だ。

私たちはその織物の表面を歩いている。
だが、人生の形や運命の傾きは、
表には見えない糸の構造によって決められている。



空間は「窓」である
空間は、単なる場所ではない。
それは、
外側の宇宙と、内側の意識をつなぐ「窓」なのかもしれない。

宇宙の果てを探ることと、
自分の内面を深く見つめること。

一見まったく違う営みが、
最終的には同じ場所にたどり着く――
そんな可能性が、今、静かに見え始めている。

空間の外面を知ることは、
空間の内面を問うことにつながる。

そしてその問いは、
「世界とは何か」ではなく、
「私たちは何に包まれて生きているのか」
という、より根源的な問いへと変わっていく。

空間は、ただ広がっているのではない。
それは、
世界と私たちを映し合う、
深い窓なのである。



内面世界の奥底にある、一念

「内面世界の奥底の一念」――
その言葉は、心の話であると同時に、宇宙の話でもある。

私たちは長い間、
宇宙は外側に広がり、心は内側に閉じているものだと考えてきた。
だが近年、物理学が示し始めたのは、
この内と外の区別そのものが、幻想かもしれないという可能性だ。



一念が、世界を「確定」させる
量子力学の世界では、
物質は観測されるまで、確かな形を持たない。

それは波であり、可能性であり、
どこにあるかも、何であるかも決まっていない状態だ。

だが、誰かが「見よう」とした瞬間、
その曖昧な存在は、ひとつの形へと収束する。

このとき介入しているのが、
意識の働き――すなわち一念である。

現実とは、
最初からそこに完成してあったものではない。
一念によって選び取られ、確定された結果なのだ。



空間は、情報の翻訳装置である
「すべては情報から成る」
It from Bit と呼ばれる考え方は、
宇宙の根本を物質でもエネルギーでもなく、
意味を持った情報に求める。

この視点に立つと、
私たちの内面に生じる一念は、
単なる主観ではなく、情報の最小単位となる。

その情報が、
空間という巨大なネットワークに書き込まれ、
時間という流れの中で展開されたものが、
私たちの体験している世界だ。

空間は、
一念を現実へと変換するための装置であり、
意識と物質のあいだに置かれた翻訳機なのかもしれない。



一念は、宇宙の縮図である
宇宙はフラクタル構造を持つ。
部分と全体が、同じ形を繰り返している。

銀河の構造は、
脳内の神経回路と驚くほど似ている。
ミクロとマクロは、別物ではない。

そのように考えるなら、
一人の人間の内面に宿る一念の中に、
宇宙全体の設計図が含まれていても不思議ではない。

内面を深く掘り下げることは、
自分の殻に閉じこもることではない。
宇宙の根本構造に近づく行為なのだ。



一念は、個人のものではない
重要なのは、
この一念が「私だけのもの」ではないという点だ。

それは、
宇宙と共有された意識の一点であり、
空間そのものと共鳴する場所にある。

私たちは、
空間の中で考えているのではない。
空間とともに、考えさせられている。



宇宙は、内面から始まっている
宇宙を動かしているのは、
力でも、粒子でも、法則でもない。

それらを成立させている、
最初の一念だ。

空間という舞台をつくり、
時間を流し、
生命を芽吹かせたもの。

その正体は、
遠い星の彼方にあるのではなく、
私たちの内面世界の、
さらに奥底に静かに息づいている。

宇宙は外に広がっているのではない。
内から、展開し続けている。

その始点にあるのが、
名もなき一念なのである。