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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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「ありがとう」の重さ

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「ありがとう」の重さ

高齢者の「ありがとう」は、ゆっくりで、はっきりしている。
一音一音を確かめるように、語尾まで丁寧に届く。
そこには間があり、呼吸があり、時に沈黙すら含まれている。

一方、若い人の「ありがとう」は速い。
軽く、流れるようで、時に輪郭が曖昧だ。
挨拶の一部として、反射的に発せられることも多い。

これは礼儀の問題でも、心の有無の話でもない。
言葉が背負っている「人生の量」の違いなのだと思う。

高齢者は、助けられてきた時間を知っている。
思うように身体が動かなくなる日々、
誰かの手、誰かの声、誰かの気遣いによって
日常が成り立っていることを、否応なく理解している。

だから「ありがとう」は、
単なる言葉ではなく、生き延びてきた実感になる。
当たり前ではないことへの、確かな感謝。
それが自然と、ゆっくりで、はっきりした音になる。

若い人は違う。
社会は整備され、仕組みは先回りし、
感謝は関係を円滑にするための潤滑油として機能する。
「ありがとう」は、場を整えるための合図であり、挨拶だ。

高齢者のありがとうは内側から外へ出る。
若い人のありがとうは外側の関係を保つために使われる。

どちらが正しいわけでもない。
社会は、速さがなければ回らず、
重さがなければ深まらない。

ただ一つ確かなのは、
人は人生の後半に近づくほど、
「ありがとう」を音として生きるようになるということだ。

言葉が軽くなるのは、人生が浅いからではない。
言葉が重くなるのは、人生が削られてきたからだ。

「ありがとう」は、年齢とともに変化する。
それは日本語が変わったのではなく、
人が生きてきた時間が、言葉に滲み出ているだけなのだ。

高齢者の「ありがとう」は感謝。
若い人の「ありがとう」は挨拶。

そして人は、
いつか必ず、挨拶としての「ありがとう」から
感謝としての「ありがとう」へと戻っていく。

それが、
人間が言葉と共に老いていくということなのだ。