老いとは、生命が次へ手渡される瞬間である
人はなぜ老いるのか。
この問いは、科学から哲学、そして宇宙観へと私を導いた。
老いは「衰え」だと考えられがちだ。
だが本当にそうだろうか。
人間ほど老化がはっきりと見える生き物は少ない。
それは体毛が少なく、肌が露出しているという身体的特徴だけでなく、
人間が他者の微細な変化を読み取る社会性を極端に発達させた存在だからだ。
老いは隠されず、見られ、感じ取られる。
生物学的に見れば、老後は生殖能力の終焉ではない。
むしろそこからが、人類が獲得した高度な進化のかたちだ。
自らは産まなくとも、次世代を守り、育て、知恵を渡す。
いわゆる「おばあちゃん仮説」が示すように、
老いとは生命のバトンを確実につなぐための役割なのである。
老後とは、人生の余白ではない。
それは次の世界へ向かうための「助走期間」だ。
肉体は徐々に言うことを聞かなくなる。
だがそれは、精神が前に出るための準備でもある。
体という重りを少しずつ降ろし、
心と意識を研ぎ澄ませていく時間。
死に際して、私たちは何を持っていけるのか。
財産でも、肩書きでもない。
持ち越せるのはただ一つ、
どれだけ人のためになったかという、目に見えない徳だけだ。
だからこそ、老後に求められるのは派手な功績ではない。
「生命の尊厳」を根に据え、
目の前の一人を大切にすること。
一人に光を当て、希望を送ること。
その足元からの実践こそが、
最も確かな平和の形である。
他者のために生きることは、自己犠牲ではない。
他者に光を当てる行為は、
そのまま自分自身の生命を磨くことでもある。
自分と他人を分けない。
この「自他不二」の感覚に至ったとき、
人生は競争をやめ、調和へと変わる。
やがて視点は、個人を超える。
生命とは、個体に閉じたものではない。
それは宇宙の中を流れ続ける、大きな連なりだ。
私たちはその一部として、
一時的に形を与えられているにすぎない。
だからこそ重要なのは、過去でも未来でもない。
今、この一瞬である。
この一瞬に、どんな心で立つか。
どんな眼差しで人を見るか。
その積み重ねの中に、
全宇宙に匹敵するほどの価値が宿る。
理屈を超えた先に、ただ一つ残るものがある。
それが「生命」だ。
説明できなくてもいい。
証明できなくてもいい。
ただ信じ、慈しみ、
その輝きを手放さずに生きる。
老いとは、終わりではない。
生命が次へと手渡される、
最も静かで、最も尊い瞬間なのである。
一瞬一瞬に永遠を刻みながら、
私たちは今日も、確かに生きている。
作品名:老いとは、生命が次へ手渡される瞬間である 作家名:タカーシャン



