善意の影で壊れていく人たち
――労働とボランティアの安全格差を問う
日本社会は今、静かな矛盾を抱えている。
それは「人を助ける活動」であるはずのボランティアが、時に助ける側の心身を壊してしまうという現実だ。
企業で働く労働者には、安全配慮義務がある。健康診断、労災保険、メンタルヘルス対策――法律によって、一定の「守り」が制度化されている。一方で、ボランティア活動は「自発的な善意」に基づくものとして扱われ、その負担やリスクは個人の自己責任に委ねられがちだ。
とりわけ責任感の強い人ほど、無理をする。
人手不足の現場で「自分が抜けたら回らない」と踏ん張り続け、気づいた時には心や体が限界を超えている。いわゆる「ボランティア・バーンアウト」である。保険制度はあっても、長期的な疾患やメンタル不調への支援は、雇用労働と比べると極めて脆弱だ。
さらに問題を深くしているのは、現代社会においてボランティアが「代替インフラ」になっている点だ。
介護、防災、地域の見守り、子育て支援――本来、公的サービスや市場が担うべき領域を、善意によって支えている構造がある。社会に不可欠な役割を果たしていながら、その担い手の健康は「本人次第」で片づけられてきた。
しかし、持続可能性の観点から見れば、これは明らかに無理がある。
支える人が壊れれば、社会も続かない。
近年、この歪みに気づき始めた動きも出てきた。
活動時間の上限や休息を明文化する中間支援組織、自治体が窓口となるメンタル相談体制、企業がプロボノ活動を業務や福利厚生として認める仕組み。まだ点在的ではあるが、「善意に甘えない」方向への兆しだ。
ボランティアは尊い。だが、尊さを理由に無理を強いる社会は、成熟しているとは言えない。
「善意だから壊れても仕方ない」から、「善意だからこそ守る」へ。
人を助ける活動にこそ、安全配慮という当たり前を。
それは、優しさを消耗品にしないための、社会の責任である。
作品名:善意の影で壊れていく人たち 作家名:タカーシャン



