感動という名の伝播装置
一流の歌声に触れたとき、人は「上手い」とは言わない。
胸が震えた、と言う。
それは技術への評価ではなく、存在との接触だ。
プロとは、正確に再現できる人ではない。
自分の内側で起きたことを、
他者の内側で再生できる形に変換できる人だ。
そこに芸術が生まれる。
芸術は説明しない。
説得もしない。
ただ、心のどこかに張られた見えない弦――心琴に、正確に触れる。
強く叩く必要はない。
派手である必要もない。
同じ周波数で、そっと触れられたとき、
人は理由もなく涙が出る。
それが感動だ。
感動は、個人の中で完結しない。
なぜなら、人は感動している人を見て、さらに感動するからだ。
泣いている姿。
言葉を失った沈黙。
その瞬間、人は嘘をつけなくなる。
取り繕えなくなった人間の姿に、
私たちは自分の中の未完の感情を見てしまう。
「ああ、自分もそこに触れていた」
その気づきが、次の心を震わせる。
こうして感動は
音から心へ、
心から表情へ、
表情から空気へと移り、
静かに、しかし確実に伝播していく。
感動とは、理解ではない。
「わかった」ではなく、
「繋がってしまった」状態だ。
文化を超えるのは、理屈ではない。
思想を結ぶのも、正しさではない。
感動は、正解を運ばない代わりに、
共鳴を運ぶ。
だから争いよりも速く、
恐れよりも深く、
人の中に入り込む。
感動よ、世界に伝播しろ。
文化を越え、言葉を越え、
思想と思想を静かに結びつけよ。
勝ち負けではなく理解へ。
優劣ではなく尊重へ。
人の心を通過しながら形を変え、
意味を深め、
やがて――
偉大な価値を創造し続ける世界となれ。
それは壮大な理想ではない。
誰かの震えが、
次の誰かを許す瞬間から、
すでに始まっている。
感動とは、
人間が人間であることを、
思い出させる連鎖反応なのだから。
作品名:感動という名の伝播装置 作家名:タカーシャン



