骨を埋める覚悟は、もう美徳ではない
「骨を埋める覚悟でやります」
この言葉は、長いあいだ日本社会で誠実さの最高表現だった。
一つの会社、一つの組織、一つの場所に人生を預ける。
疑わず、迷わず、途中で逃げない。
それが大人であり、男であり、社会人の完成形だと教えられてきた。
しかし、令和の空気の中でこの言葉を聞くと、
どこか重く、危うく響く。
なぜなら、
骨を埋める場所のほうが、先に消えていく時代だからだ。
かつて組織は、
「守る代わりに、尽くせ」と言った。
だが今の組織は、
「状況が変われば、切る」と静かに言う。
それは冷酷さではない。
時代の構造そのものだ。
変化のスピードが速すぎる。
技術も価値観も、三年で古くなる。
人生は長くなり、
一か所に埋まるには時間が余りすぎている。
それでも、
骨を埋める覚悟だけが
美徳として残骸のように漂っている。
令和に必要なのは、
骨を埋める覚悟ではない。
必要なのは、
骨を持って歩く覚悟だ。
自分の骨とは何か。
それは肩書きでも、会社名でもない。
積み上げた経験、
磨き続けた感覚、
失敗しても立ち上がった記憶だ。
それらを抱えて、
場所を変え、形を変え、
それでも立ち続ける。
「ここで学びきる覚悟」
「今の役割を全うする覚悟」
「去ることを恐れない覚悟」
これらは、
逃げではない。
むしろ、最も誠実な覚悟だ。
埋まる覚悟は止まる覚悟。
動く覚悟は、生き続ける覚悟。
かつて骨を埋めた人間だからこそ、
次の世代に伝えられることがある。
埋めた骨に、しがみつくな。
骨は、次の場所へ連れていけ。
人生は、
一か所で完結しない。
骨は、歩くためにある。
令和では、
骨を埋める覚悟より、
骨を携えて歩く覚悟が問われている。
作品名:骨を埋める覚悟は、もう美徳ではない 作家名:タカーシャン



