令和の生き方論
― 固定され続ける世界で、どう生きるか ―
令和という時代は自由に見える。
働き方改革、個性尊重、多様性。
だが実感としてはどうだろうか。
仕事は相変わらず固定され、
家庭は役割を外れにくく、
組織は空気で人を縛る。
「選べる時代」になったはずなのに、
身動きが取りにくい息苦しさは、むしろ強まっている。
固定されることへの違和感
環境に固定されることが苦しい人がいる。
同じ仕事、同じ役割、同じ人間関係。
それが「安定」と呼ばれるほど、心が摩耗していく人たちだ。
社会はそうした違和感を
「わがまま」「忍耐不足」「贅沢」と片付けがちだが、
それは本質を取り違えている。
人には性質がある。
根を張ることで力を発揮する人もいれば、
動き続けることで自分を保つ人もいる。
問題は個人ではない。
一つの生き方しか想定しない社会設計にある。
仕事・家庭・組織という固定装置
仕事は役割を固定する装置であり、
家庭は人格を固定する装置であり、
組織は思考を固定する装置である。
これらは本来、
人を支えるための仕組みだったはずだ。
しかし令和の社会では、
仕組みを維持するために人が使われ、
気づけば「抜けられない前提」だけが残っている。
ここで人は二択を迫られる。
従って自分を削るか、
壊して全てを投げ出すか。
だが令和に必要なのは、
そのどちらでもない。
正解は「ずらす」こと
令和の生き方は、正面突破ではない。
• 全力で適応しない
• 全人格を差し出さない
• どこにも自分を固定しきらない
仕事には「機能」だけを渡し、
家庭には「責任」は果たしても「期待」を背負いすぎず、
組織には「半身」で関わる。
逃げない。
だが、縛られない。
これが、固定され続ける世界での
現実的な知恵だ。
不可侵領域を持つということ
どれほど社会に縛られても、
最後に守るべき場所がある。
• 誰にも評価されない思考
• 誰にも管理されない時間
• 誰にも説明しない表現
ここがある限り、人は壊れない。
令和において最も危険なのは、
忙しさや役割によって
内面まで占領されることだ。
外側が固定されても、
内側まで固定される必要はない。
生涯青春・生涯挑戦という姿勢
若さとは年齢ではない。
それは「更新をやめない態度」だ。
環境が変わらなくても、
立ち位置は変えられる。
役割が続いても、
意味づけは変えられる。
そして、
合わなくなった場所からは
卒業していい。
これは無責任ではない。
人生を長く生きるための、
成熟した判断である。
終わりに
令和の生き方とは、
落ち着くことではない。
諦めることでもない。
固定される世界の中で、
自分だけは流れ続けること。
風のように、
必要な場所を巡り、
役目を終えたら去る。
そういう生き方があっていい。
むしろ今の時代には、
そういう人間が必要なのだ。



