不適切にも程がある人々が、いまだに日本を動かしている
日本は、なぜこんなにも息苦しいのか。
なぜ、声を上げる人ほど浮き、黙る人ほど得をするのか。
理由は単純だ。
不適切にも程がある人々が、いまだに日本を動かしているからだ。
ここで言う「不適切」とは、失言や不祥事の話ではない。
もっと根深く、もっと日常的なものだ。
• 時代が変わったことを認めない
• 若者の声を「甘え」で切り捨てる
• 弱い立場を想像できない
• 責任は取らず、前例に逃げる
• 昭和の成功体験を“正義”として振りかざす
こうした人々が、今も重要な席に座り続けている。
問題は能力ではない。
アップデートを拒み続けていることだ。
日本では「変わること」が美徳にならない。
むしろ「変わらないこと」が安定、忠誠、正しさとして評価されてきた。
間違いを認めると負け。
価値観を更新すると裏切り。
世代交代は否定。
この空気が、社会全体を硬直させた。
結果どうなったか。
不適切な人ほど居座り、
誠実な人ほど疲れて去る。
これは会社だけの話ではない。
政治も、行政も、教育も、同じ構造だ。
一方で、現場はもう違う。
子育て、介護、働き方、ジェンダー、貧困。
生活の最前線では、とっくに限界を超えている。
変わりたい人は、もう圧倒的に多い。
ただ彼らは――
声が大きくない。
争わない。
我慢強い。
だから、見えない。
日本は今、
「変われない少数」に引っ張られ、
「変わりたい多数」が沈黙している国だ。
それでも、日本は終わっていない。
歴史を見れば、日本が変わるときはいつも同じだった。
上が導いたのではない。
下が耐えきれなくなったとき、動いただけだ。
今も同じだ。
家庭で、現場で、言葉で、作品で、
小さな違和感が積み重なっている。
「おかしい」と言い続けること。
言葉にして、残すこと。
黙らないこと。
それが、次の日本をつくる。
不適切にも程がある人々が、
日本を動かしているのではない。
動かしている“つもり”で、
もう時代に置いていかれているだけだ。
変われ、日本。
いや――
変わり始めている日本を、もう止めるな。
作品名:不適切にも程がある人々が、いまだに日本を動かしている 作家名:タカーシャン



