いい人が去る組織
いい人が去る組織には、決まった前兆がある。
しかし不思議なことに、その前兆はいつも見過ごされる。
なぜなら、それは騒音ではなく、沈黙だからだ。
いい人は、声を荒らげない。
場を乱さない。
誰かを悪者にも仕立てない。
むしろ、自分が引けば丸く収まることを知っている。
だから、我慢する。
考える。
様子を見る。
改善の可能性を、何度も頭の中でシミュレーションする。
この時点で、すでに多くのことを理解している。
この組織が「変わろうとしていない」こと。
声の大きさが正しさとすり替わっていること。
責任よりも保身が優先されていること。
それでも、いい人は最後まで壊さない。
会議で怒鳴らない。
告発もしない。
不満を拡散もしない。
ただ一つ、静かに確信する瞬間がある。
「ここでは、もう何も良くならない」
その瞬間、去る準備は完了している。
引き止められても、もう遅い。
なぜなら、去る決断は感情ではなく、
理性の最終結論だからだ。
残された側は言う。
「急だった」
「理由がわからない」
「いい人だったのに」
だが本当は、ずっと前から合図は出ていた。
発言が減り、
提案をしなくなり、
必要以上に丁寧になり、
期待を口にしなくなった。
それはやる気を失ったのではない。
期待を手放したのである。
いい人が去る組織の問題は、人材流出ではない。
もっと深い。
人を失った原因に気づけない構造そのものだ。
問い直すべきは
「なぜ辞めたのか」ではない。
「なぜ、声が出なくなったのか」である。
組織は、声の大きい人で壊れるのではない。
声を出さなくなった人によって、静かに終わる。
いい人が去ったあとに残るのは、
表面上の平和と、深い停滞だ。
それに気づける組織だけが、
次の「いい人」を守ることができる。



