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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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ずれたまま走り続ける社会

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ずれたまま走り続ける社会

― 学校・会社・生き方をつなぎ直すために ―


正解を出せる人ほど、人生で立ち止まる

学校では、
正解を出すことが求められた。

間違えないこと。
早く答えること。
周囲と同じであること。

それが「できる人」だった。

だが社会に出た瞬間、
正解は消える。

代わりに現れるのは、
人の感情、
立場の違い、
言葉にされない空気。

そこで多くの人が、
立ち止まる。

「どうすれば正解なのか」
それがわからない。

学校で身につけた力が、
使えないのではない。
使う場面が、まったく違ったのだ。

人生には、
答えのない問いしか出てこない。

・黙るべきか、言うべきか
・待つべきか、動くべきか
・正しいか、優しいか

それでも学校では、
「保留する力」は教えられなかった。

数学は、
論理を学ぶためのものだった。
国語は、
他人の心を想像するためのものだった。

だがそれらは、
点数に変換された瞬間、
人生との接続を失った。

だから大人になって人は言う。
「勉強なんて、役に立たなかった」と。

違う。
人生の使い方を、誰も教えなかっただけだ。

正解を出せる人ほど、
答えのない世界で苦しくなる。

それは弱さではない。
真面目に生きてきた証拠だ。

そしてこの“ズレ”は、
学校で終わらない。

次は、
会社で繰り返される。
   


なくても回る仕事が、なぜやめられないのか

会社に入ると、
仕事は山ほどある。

会議、
書類、
報告、
確認、
承認。

どれも「必要だ」と言われている。
だが正直、
なくても回るものは多い。

それでも、
やめられない。

理由は単純だ。
仕事をしている形がないと、不安になるからだ。

成果は、静かだ。
時間がかかり、
途中経過は見えにくい。
評価もしづらい。

一方で、
会議は目に見える。
書類は積み上がる。
予定表は埋まる。

「今日も忙しかった」
その実感だけは、
確実に残る。

こうして仕事は、
人を楽にするものから、
安心を保つための儀式へと変わっていく。

学校で身につけた
「やっている感」は、
会社で再生産される。

会議で発言すれば、
参加した気になる。
書類を出せば、
責任を果たした気になる。

だが現場では、
何も軽くならない。

決まらない会議。
回るだけの書類。
増える確認。

本当に疲れているのは、
仕事量ではない。
考えなくていい仕事が増えることだ。

考えなくても回る仕組みは、
一見、効率的に見える。
だがそれは、
人から意味を奪う。

やがて人は、
「自分で考えること」をやめる。
決めない。
責任を持たない。
前例に寄りかかる。

それでも会社は、
回っているように見える。

だがそれは、
動いているだけだ。

学校では、
「やったかどうか」が評価された。
会社では、
「動いたかどうか」が評価される。

結果より過程。
中身より形式。

ここでも、
本来の目的は置き去りにされる。

仕事とは、
人を楽にすることだった。
未来を軽くすることだった。

もし会議が増えているなら、
何かが滞っている。
もし書類が増えているなら、
誰かが考えることを放棄している。

だがそれを口にすると、
空気が凍る。

なぜなら、
多くの人が
その儀式の上で
安心を保っているからだ。

なくすことは、
怖い。
減らすことは、
勇気がいる。

だが本当は、
なくしても回るものこそ、
最初に手放すべきものなのだ。

学校で終わらなかったズレは、
会社でさらに大きくなる。

そして最後に、
人はこう思い始める。

「自分は、
何のために生きているのだろうか」

その問いは、
次回へ続く。




ずれているから、人は生きている

時間を潰すための仕事か、
機械に動かされ続ける仕事しかなかった。

そう感じたことのある人は、
少なくないはずだ。

生活は回っている。
食べていける。
社会の役にも立っている。

それなのに、
どこか空しい。
どこか、自分がいない。

この違和感を、
人は「甘え」だと言う。
「贅沢」だと言う。

だが本当にそうだろうか。

本来、
生きることと、
生活することと、
成長することと、
貢献することは、
一本の線だった。

生きる中で働き、
働く中で成長し、
成長が誰かの役に立つ。

それが、
人の自然な循環だった。

だがいつの間にか、
それぞれが分断された。

生活のために働き、
働いても成長は感じられず、
貢献は数字に置き換えられる。

人はそこで、
「意味」を失う。

真面目な人ほど、
このズレに耐えようとする。
疑問を飲み込み、
自分を調整し、
歯車としての精度を上げる。

だが心は、
完全な機械にはなれない。

ふと立ち止まり、
「このままでいいのか」と思ってしまう。

その瞬間、
人は自分を責める。

でも、
責める必要はない。

違和感は、故障ではない。
感覚が、まだ生きている証拠だ。

学校で感じたズレ。
会社で感じたズレ。

それらは、
人生からの脱落ではない。

むしろ、
人生への入口だ。

思い通りにいかない。
合理的でもない。
効率も悪い。

それでも人は、
考え、迷い、揺れ続ける。

その不確かさこそが、
人間だ。

もしすべてが
正しく、
合理的で、
無駄がなければ、
人生はただの処理になる。

だが現実は違う。

思いがけない出会いがあり、
回り道があり、
失敗があり、
立ち止まる時間がある。

ズレるから、
考える。
ズレるから、
選び直せる。

完璧に噛み合わないからこそ、
自分の位置を探し続けられる。

だから人生は、おもしろい。

このズレを消そうとしなくていい。
整えすぎなくていい。

ずれたまま、
考えながら、
生きていけばいい。

それができる人が、
次の時代をつくる。