遊びがないと、世界は壊れる
精密な機械ほど、
部品と部品のあいだには「遊び」がある。
きっちり噛み合っているように見えて、
実はほんのわずかな隙間が残されている。
それは怠慢ではない。
不完全さでもない。
壊れないための設計である。
温度が変わる。
金属が伸び縮みする。
摩耗も起きる。
それらをすべて想定したうえで、
あえて余白を残す。
遊びのない機械は、静かに、確実に壊れていく。
人間の世界も同じだと思う。
正しさを突き詰めすぎると、人は衝突する。
効率を詰めすぎると、息が詰まる。
意味を求めすぎると、心が乾く。
最近、すぐにキレる大人が増えた。
正義を振りかざす声も大きくなった。
会議は増え、説明は長くなり、
それでも現場は軽くならない。
足りないのは能力でも努力でもない。
遊びだ。
遊びとは、
何かの役に立つためのものではない。
結果が出なくてもいい。
意味がなくてもいい。
上手にやれなくてもいい。
目的から外れた行為、
評価されない時間、
説明できない感覚。
そういう「どうでもいいこと」が、
人を人のまま保っている。
遊びがあると、人は少し離れて物事を見られる。
離れて見られると、許せる。
許せると、待てる。
待てると、笑える。
「見る/離れる/許す/待つ」
これらはすべて、
心に遊びがある状態でしか起こらない。
遊びを失った心は、常に緊張している。
正確であろうとし、
間違えまいとし、
負けまいとする。
その張り詰めた状態が続けば、
小さなズレが爆発に変わる。
カスハラも、正義の暴走も、
突き詰めれば同じ根を持っている。
余白の喪失だ。
真面目さが悪いわけではない。
正しさが間違っているわけでもない。
ただ、
真面目さにも正しさにも、
遊びが必要なのだ。
それがなければ、
それらは人を傷つける刃になる。
遊びとは、怠けることではない。
逃げることでもない。
真面目さを壊さないための装置。
人間が壊れないための安全弁。
精密機械が遊びによって長く動き続けるように、
人間もまた、遊びによって生き延びている。
少し無駄な時間を持とう。
少し意味のない話をしよう。
少し遠回りを許そう。
世界は、
きっちりしすぎると、壊れる。
作品名:遊びがないと、世界は壊れる 作家名:タカーシャン



