早朝、鳴きながら飛ぶ鳥
早朝、まだ街が完全に目を覚ます前の空を、渡り鳥が鳴きながら飛んでいく。
はるばるシベリアから来た命だという。
朝食の準備だろうか。
そんな実用的な理由を思い浮かべながら、しばらく空を見上げていた。
群れで飛ぶ鳥もいる。
一定の間隔を保ち、進路を共有し、迷いが少ない。
そこには役割があり、安心があり、効率がある。
生き延びるための、完成された形だ。
一方で、単独で飛ぶ鳥がいる。
しかも、その鳥は鳴き続けている。
誰に向けてなのか、何を伝えているのか、分からない声を、空に放ちながら。
単独なのだから、静かに飛んだほうが安全かもしれない。
それでも鳴く。
鳴きながら飛ぶ。
それは、道に迷っている声ではないように聞こえた。
むしろ、自分の位置を確かめるための声。
「ここにいる」
「まだ飛んでいる」
そうやって、自分自身に言い聞かせているようだった。
群れにいると、不安は分散される。
方向も責任も、個ではなく「集団」のものになる。
だが、単独で飛ぶということは、すべてを自分で引き受けるということだ。
進路も、疲れも、恐れも。
だから声が出る。
沈黙に押し潰されないために。
孤独に飲み込まれないために。
人も似ている。
誰かと一緒にいる時期があり、
ひとりで進まざるを得ない時期がある。
ひとりの時間は、弱さの証ではない。
声を出しながら進む姿は、むしろ誠実だ。
鳴きながら飛ぶ鳥は、
「大丈夫」と言っているのではない。
「不安はある。でも進む」と言っている。
早朝の空を横切るその声に、
私は少しだけ救われた気がした。
今日をどう生きるか、まだ決めきれていない人間が、
地上にもう一人いることを、
鳥は知る由もないだろうけれど。
それでも、あの声は確かに届いた。
静かな朝に、
「それでも飛べ」という合図のように。
作品名:早朝、鳴きながら飛ぶ鳥 作家名:タカーシャン



