令和の会議病
会議が多い。
とにかく多い。
予定表は会議で埋まり、
仕事はその隙間に押し込まれる。
気づけば「働いている時間」より
「集まっている時間」の方が長くなる。
それでも成果が出ていないわけではない。
むしろ皆、疲れ切っている。
だからこそ言いづらい。
「この会議、必要ですか」と。
令和の会議病は、
怠慢ではなく真面目さから生まれる。
会議は本来、
決めるための場だった。
しかしいつの間にか、
確認する場になり、
共有する場になり、
最終的には安心する場になった。
「みんなで話したから大丈夫」
「一応、会議はやった」
その一言で、
誰の責任かが曖昧になる。
決めないことの罪は、
決めることより目立たない。
だから会議は増え続ける。
会議が増えるほど、
現場は動かなくなる。
最前線ほど呼ばれ、
最前線ほど説明を求められ、
最前線ほど時間を奪われる。
動かないのではない。
動けなくされている。
会議室で語られる「理想」は、
現場で削られ、薄まり、
最後には責任だけが残る。
令和の会議病の正体は、
「決断への恐怖」だ。
間違えたくない。
失敗したくない。
批判されたくない。
だから集まる。
だから確認する。
だからまた集まる。
だが、
決断を先延ばしにした時間も、
立派なコストである。
本当に必要な会議は少ない。
決める会議。
揃える会議。
振り返る会議。
それ以外は、
メールでも、メモでも、
立ち話でも足りることが多い。
会議の回数を減らすことは、
人を信じる量を増やすことだ。
静かな組織ほど、強い。
騒がしい会議室より、
黙って動く現場の方が、
よほど多くを語っている。
会議を減らせ、とは言わない。
決断を増やせと言いたい。
会議は、
働いているフリをする場所ではない。
覚悟を置いていく場所だ。



