ちょうどいいは続かない
ちょうどいい、という状態は
なぜこんなにも儚いのだろう。
淹れたてのコーヒーはすぐに熱すぎ、
少し置けば冷めてしまう。
春の気温は一瞬で、
気づけば暑いか寒いかのどちらかになる。
人間関係も同じだ。
近すぎれば息苦しく、
離れすぎれば不安になる。
「あ、今ちょうどいい」と思った瞬間から、
もうズレ始めている。
それなのに私たちは、
この“ちょうどいい”を
固定しようとしてしまう。
この温度であってほしい。
この距離で変わらないでほしい。
昨日と同じ関係でいてほしい。
でもそれは、
流れる川に印をつけて
「ここで止まれ」と言うようなものだ。
本当は、
ちょうどいいは状態ではなく、
過程なのだと思う。
ちょうどいいは「点」ではない。
幅がある。
少し温くても飲めるし、
少し冷えても許せる。
今日は話したくない日もあるし、
明日はやけに近づきたい日もある。
続く関係とは、
完璧な一点を保つことではなく、
ズレを許す幅を持つことなのだ。
もうひとつ大切なのは、
変わることを前提にすること。
人は毎日、少しずつ違う。
疲れている日もあれば、
余裕のある日もある。
価値観だって、静かに更新されていく。
それなのに
「前はこうだった」という記憶に
相手を閉じ込めると、
関係は息ができなくなる。
続いているものは、
安定しているのではない。
更新され続けているのだ。
そして、
維持しようとしすぎないこと。
壊したくない、
失いたくない、
この関係を守らなければ。
その力みは、
知らぬ間に温度を上げすぎ、
距離を詰めすぎる。
守られている関係より、
呼吸している関係のほうが
ずっと長く生きる。
最後にひとつ。
調整の基準は、
正しさではない。
「正しいかどうか」ではなく、
「苦しくなっていないか」。
違和感に気づいたら、
大ごとになる前に
ほんの少し手を入れる。
強く握らない。
早めに緩める。
ちょうどいいは、続かない。
でも、それでいい。
ズレることを前提に、
直し続けること。
ちょうどいいとは、
作るものではなく、
ズレを直し続けた結果、
たまたまそこにある瞬間なのだから。
作品名:ちょうどいいは続かない 作家名:タカーシャン



