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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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比較という安心、ゼロサムという無責任

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比較という安心、ゼロサムという無責任

就職でも、昇進でも、合格でも不合格でも、
この社会には決まった「枠」がある。
誰かが入れば、誰かが外れる。
この原理はゼロサムだ。

問題は、このゼロサム原理が
仕事や制度だけでなく、
幸・不幸にまで持ち込まれていることだ。

誰かが幸せなら、誰かは不幸。
誰かが報われるなら、誰かは報われない。
そう思えば、なぜか心が落ち着く。

――それは安心だ。
だが同時に、無責任でもある。

幸せまでゼロサムにしてしまえば、
誰も問い続けなくて済む。
なぜこの人は苦しいのか。
なぜこの構造は変わらないのか。
なぜ自分は、そこに加担しているのか。

「世の中はそういうものだ」
その一言で、思考も想像力も止まる。

人はなぜ、比較で生きるのか。
それは弱いからではない。
不安だからだ。

人間は本来、
自分の輪郭を他者との差分でしか知れない。
比較は生存の名残であり、
安心を確かめるための道具だった。

だが現代社会は、
点数、順位、評価、数字を量産し、
比較を生き方そのものに変えてしまった。

比較はいつのまにか、
安心の代用品になった。

誰かより上なら大丈夫。
誰かよりマシなら安心。
その安心は、次の瞬間には崩れる。
だから人は、また比べる。

比較をやめられないのではない。
比較から降りられない構造にいるだけだ。

そして、行き着く。

外を整えても、
環境を変えても、
評価を得ても、
本当の満足は来ない。

外が与えるのは、
一時的で、条件付きで、失われる満足だけだ。

本当の満足は、
自分の行為と感覚がずれていない瞬間にだけ生まれる。
誰に見られていなくても、
得にならなくても、
「これでいい」と体の奥が静かに言うとき。

外や環境を否定する必要はない。
ただ、主導権を渡さないことだ。

外は道具。
内は基準。

幸せには定員はない。
定員を作ったのは、比べる癖だ。

外に答えがないと分かったとき、
人はやっと、自分に戻れる。