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稲作元年の生贄

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紀元前七千年早春、長江流域に五日間に渡って降った雨により草木はみずみずしい新緑に覆われた。細い葉先が風にそよぎ、あぜ道には朝露が静かに光っている。空高くひばりが舞い上がり、澄んだ空へ細い声を放つ。柔らかな陽ざしが大地を撫で、世界が大急ぎで目を覚ましていく。しかしその後、六十回目の日没に至るまで雨は降らなかった。草木はうなだれて下を向いた。
 水田を耕起し川から水を引き入れると下手の水が足りなくなり、民の間でいつ終わるとも知れない諍いが起きた。余は施(し)を行う旨を告げ、銅鐸を鳴らした。
 翌日には民が広場に集まった。一日がかりで歩いてきた民もいる。余は黄金の仮面をかぶり、殺傷力の無い赤い花弓=弱(じゃく)に矢尻のない花矢をつがえた。老いも若きも人々は青ざめて天を仰いだ。放たれた赤い矢は天空をさまよい、ふわりと老人の体に落下した。続いて放たれたもう一本の矢は色黒の女性に触れた。「つわもの」たちが駆け寄って荒縄で二人を後ろ手にきつく縛り上げた。
「お母さんを殺さないで!」と女児が悲鳴を上げた。
 肉親たちが女児を取り囲み泣き崩れた。
 余はこの大切な儀式を滞りなく進めるよう鈴の付いた青銅の杖を振って民を励ました。快いコーンという銅鐸の聖なる音が響いている。二人は逍遥として祭壇の上に正座し天に上るのを待った。
 「穢れ人」が尖った青銅の鎌をゆっくりと二人の下腹部に刺し、引き切りにした。腸管を傷つけると中身がでるからできるだけゆっくりと・・・・・・。生贄は苦痛のあまり叫び始めた。
 腹圧で腹からはみ出た大網(脂肪の網)を指で引き裂くと小腸がこぼれ出た。「穢れ人」はかがみこんで引きちぎった大網をすすり、小腸を鷲づかみにして無造作に掻き出した。腸は両ひざの間で蛇のようにうねうねとうごめいている。
 それを見て余は叫んだ。
「吉兆な―り! 吉兆な―り! 水神様は喜んでおられる! 雨は降る!」
 余は民の願いが天に届いたことを祝福した。
 黄金色に輝く銅鐸が音節を短くしていき、ココココココ・・・・・・と高い連続音を出した。贄は喉をかき切られて天に上り、「施」が終わった。余は二人の石像を彫り、村長を通して遺族に与えた。
 だが「施」から十回目の日没までも雨は降らなかった。
 余は民の生活を簡略化した図柄にして稲作の苦労を亀甲に掘り続けた。代搔き、田植え、畦づくり、草取り、稲刈り、そして収穫の喜び。
 中国の長江沿いにおいて稲作が始まったのは紀元前七千年ごろとされている。この地で稲作が発展した理由は不明である。そして稲作という「発明」は日本を含む東アジア全体に広がっていく。
 図柄は毎年の収穫や出来事を後世に伝えるすべになることに気づいた余は亀甲刻みを行った亀を川に放ち水神様への使いとするだけではなく、刻みを入れた甲羅を土中に埋めて大切に保存した。このしるしは文字となって発展していく。
 畦を掻き揚げて水田を興し、田植えを行う。川の曲がりに堤防を造る。地道な積み重ねで収穫を増やすのだ。こうして我らは少しずつ人の数を増やしてきた。民の願いがクニを作る。余も願う、祈る、願う、祈る。願いは強ければ強いほど実現する。そしてそれは腹の内に積もりに積もっていくのだ。
 だが、「施」から二十回目の日没までも雨は降らなかった。
 木造で村落の中心には高床式の「宮」と「倉」があり、民の家は竪穴式住居であるため、抜きんでて背が高い。近隣の村落が十ほど集まり国を形成している。
 この国の村長の全員、十名が人の背の高さ程の梯を上がって余の元に来た。
「王よ、雨が降らない。このままでは秋の収穫は望めない。この国の民は逃散し他国に流れていく。ある者は奴隷に成り、ある者は穢れを行う穢れ人になる。盗賊に成って殺される者も、飢えて死ぬ者もいる」
 もう一人の長が言った。
「王よ、こうなったら王自ら施に上がるしかない!」
 余は大きな声で言った。
「相分かった。私は苦役をせずに米を食い、絹織物を着ている。それはこの日のためだ。民の願いを一身に受ける余自ら施に上がり、願いのこもった我が臓物を水神様に奉げるのは当然のことだ。妻とともに喜んで天に向かおうぞ」
「王よ。あなたはりっぱな王だ!」
 若い長が突然さめざめと泣き始め、宮の床を拳で叩き始めた。
「我らはいつまでこのようなつらく苦しい稲作を続けなくてはならないのか?」
余は答えた。
「大熊猫は竹を食べ、虎は人を食べ、そして人は米を食べる。みな天が決めた定めだ。万が一、人が楽をして米を食べられるような日が訪れたならば、その時、願いというものは不要となり、クニというものも無くなるのであろう。あるいはクニ以外の何かが出来上がるのであろうな」
 翌日の夕方、民は広場に集まり祭壇の前にひれ伏していた。余は幼いわが子に黄金の仮面をかぶせて、祭壇の上に座した。わが子は特異的な状況を理解できずに、戸惑い、そして仮面の下で泣いていた。
「幼くてもお前は王だ。そのつとめとは人々の願いをはらわたで聞き、それを天の神々に届けることなのだ」
生を諦めきれない妻は泣き続けていた。
「やっぱり死ぬのは嫌。私だけでいいから助けて! あああ!」
銅鐸の音が鳴り響いている。雲一つない初夏の青空の下、セミの声がじわじわと響いている。多くの民が降雨を願っている。他人の命を顧みないほど強く激しく。 
 「穢れ人」が青銅の鎌を余の下腹部にゆっくりと刺し、引き切りにした。我が腹中に深く差し込まれた鎌は氷のように冷たかった。我がはらわたが下肢の間に広がっていくのが見えた。腸は蛇のようにうねうねとうごめいている。余は苦痛をこらえて叫び続けた。
「吉兆な―り! 吉兆な―り! 水神様は我らの願いをお聞きになられた! 雨は降る!」
 目をつぶると大粒の雨が乾いた田に降り注ぐのが見えた。
<注>
1.長江文明を詳しく展示する成都の博物館では、後ろ手に縛られた二人の男の石像が展示されていました。顔を上げて覚悟を決めているように思えました。
2.「施」の字の起源はひざまずいた人間が腹を裂かれて内臓を神にささげている所を現したものという説があったかと思いますが、根拠を確かめることはできませんでした。臓物を奉げる生贄はあったみたいです。
作品名:稲作元年の生贄 作家名:花序C夢