停滞する勇気
人は、止まることを怖がる。
前に進んでいない自分を、どこかで「間違っている」と感じてしまうからだ。
惰性、停滞、現状維持――
これらはいつの間にか、否定的な言葉になった。
だが本当にそうだろうか。
長年働き続け、責任を引き受け、期待に応え続けてきた人ほど、
ある時から前に進めなくなる。
新しい挑戦に気持ちが向かない。
成長という言葉に、心が反応しない。
多くの人は、そこで自分を責める。
「もう年だからか」「気力が落ちたのか」「このままでいいはずがない」と。
しかし、その停滞は、衰えではない。
摩耗しきった神経が、ようやくブレーキを踏んだ状態であることが多い。
人は、疲れたから止まるのではない。
止まらなければ壊れる地点まで来たとき、初めて止まれなくなる。
そして皮肉なことに、その段階では、
「まだ頑張れる」という感覚だけが残っている。
停滞とは、逃げではない。
これ以上削らないための、極めて理性的な判断だ。
自然界を見れば、止まることは異常ではない。
木は冬に成長しない。
動物は冬眠する。
生き延びるために、あえて動かない時間を選ぶ。
人間だけが、
「常に前進していなければならない」という幻想を背負わされてきた。
特に60代以降、
停滞できる人と、無理に動き続ける人の差ははっきり出る。
前者は、長く関われる。
後者は、ある日突然、舞台から消える。
停滞できる人は弱いのではない。
自分の神経の限界を尊重できる、強い人だ。
重要なのは、停滞しているかどうかではない。
その停滞の中で、
自分を責めているか、許しているかである。
自分を責めない停滞は、回復へとつながる。
自分を責める停滞は、消耗を深める。
もし今、
「このままでいいのだろうか」という声が浮かぶなら、
それは怠けではない。
次の段階へ行く前に、立ち止まる力が戻ってきた証拠かもしれない。
停滞は、人生の空白ではない。
次に壊れずに進むための、静かな準備期間だ。
進まない勇気。
変えない決断。
留まる強さ。
それらはすべて、
生き延びてきた人だけが手にすることのできる、
成熟のかたちである。
停滞は敗北ではない。
壊れずに生き続けるための、最も勇気ある選択である。



