病気をしない努力、働いてるのと同じこと
病気をしない努力というのは、表に見えない仕事だ。
誰にも評価されず、誰にも気づかれない。
だけど、本当は“働く”という行為の土台をつくっている、一番大事な労働である。
私たちは「仕事=外に向けての成果」と思いがちだ。
しかし、その成果を支えているのは、毎日の小さな選択——
寝る、食べる、歩く、休む、笑う、怒りを溜めない、ストレスを整える、
そうした“自分の体との関係”を整える行為である。
病気にならないようにする努力は、会社では給料が出ない。
報酬も誰からももらえない。
しかし、それに努力している人ほど、結果的に「長く働き続けられる」。
つまり、“病気をしない努力”は、長期的に見ると“働くと同じくらい価値のある行為”なのだ。
逆に、どれだけ仕事ができても、
体が壊れればそこで終わる。
働けない時間は、自分の意思とは関係なく訪れる。
だからこそ、病気をしない努力は、未来の自分に対する先行投資となる。
そして、歳を重ねるほど、この事実は重さを増してくる。
若いときは多少無茶をしても回復できた。
しかし、50を超えると、体は「昨日の続き」を翌日に持ち越し、
60を迎える頃には、「毎日の積み重ね」がそのまま体調の形となって現れる。
つまり、病気をしない努力とは、
自分の人生・家族・仲間のために働くことと同じ。
むしろ、ときにはそれ以上に価値がある「見えない仕事」なのだ。
休息も労働の一部。
運動も労働の一部。
笑うことも、人と話すことも、感情を解きほぐすことも、
全部ひっくるめて“未来の自分を守るための仕事”である。
さあ、今日からまた、
見えない仕事をしていこう。
心と体を守るという、誰にも真似できない自分だけの働き方を。
作品名:病気をしない努力、働いてるのと同じこと 作家名:タカーシャン



