小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

止まりたいのに止まれない人へ

INDEX|1ページ/1ページ|

 
止まれない生命の哲学 ― マグロと心臓の共鳴

マグロは、止まると死ぬ魚だ。
絶えず海を泳ぎ続けないと、酸素を取り込むことができない。
流れの中に身を置きつづけることで、呼吸が成り立つ。
その姿を想像するとき、私はいつも人間の心臓を思い出す。
心臓もまた、止まれない器官である。
生まれてから死ぬまで、休むことなく拍動し続ける。
生命を支えるために、1秒たりとも仕事をやめられない。

マグロと心臓。
この二つの存在には、ある共通した“宿命”がある。
それは「止まれない」ということだ。
しかし、同じ“止まれない”であっても、そこから生まれる哲学は違う。

マグロの場合、泳ぎ続けるのは生存のための条件だ。
外の環境に合わせて動き続ける。
海が揺れるから、敵が迫るから、流れが変わるから、餌が遠ざかるから。
外の状況に合わせ、ひたすら体を動かす。
静止という選択肢が、もともと存在しない。

心臓はどうか。
心臓が動いているのは、外の理由ではない。
「自らの内側にある生命のリズム」に従って、ただ拍動している。
心臓は不安にも焦りにも反応しない。
損得勘定もしない。
ただ淡々と、必要なだけの力とリズムを刻む。
そこに迷いはない。

つまり、マグロは外に動かされ、心臓は内から動く。

では、人間はどちらの生き方をしているのだろうか。
毎日走り回り、休む間もなく働き、SNSで成果を追い、
評価や数字や比較に追われ、まるで止まれば死ぬかのように動き続ける。
その姿はどちらかといえば、マグロに近い。
外の刺激に反応し続ける生き方。
止まると不安になる生き方。

しかし、本来の人間は心臓タイプなのだ。
内側にある生命のリズムで動く生き物である。
外からの圧力ではなく、内からの声で生き方を決められる存在だったはずだ。

ではなぜ、私たちは「止まれない生き物」になってしまったのか。
理由は簡単だ。
止まることが怖いからだ。
立ち止まった瞬間、周りの速度に追い抜かれ、
自分の価値が下がるような錯覚に陥るからだ。
人の評価、会社の仕組み、時代の流れ、SNSの波。
それらに対して“ずっと泳ぎ続けなければならない”と信じ込んでしまう。

しかし、ここにひとつの真実がある。

人間だけは、止まっても死なない。
むしろ、生き返る。

この逆説こそ、心臓とマグロの違いであり、人間に与えられた自由だ。

心臓は止まれない。だからこそ、人間は止まっていい。

心臓が休まず働いてくれているおかげで、私たちは動くことも止まることもできる。
立ち止まり、振り返り、深呼吸し、考え、選び直すことが許されている。
マグロはその自由がない。
止まることが存在しない生き物の“宿命”だ。

私たちには、止まるという“選択肢”がある。
そして、その選択こそが智慧である。
立ち止まる時間こそ、人生の質を整える時間だ。

止まるからこそ、心臓のリズムが聞こえる。
止まるからこそ、外ではなく内に軸が生まれる。
止まるからこそ、本当に進みたい方向が見えてくる。

マグロのように泳ぎ続けなければならない人生は、外側の世界に支配された人生だ。
心臓のように淡々と自らのリズムを刻む人生は、内側の世界に支えられた人生だ。

私たちはどちらを選ぶのか。
外に振り回されるマグロの人生か。
内から湧き上がる心臓の人生か。

一つだけ確かなことがある。

心臓が止まれないからこそ、
人間は安心して止まっていい。
人は“止まる勇気”を持つために生まれてきたのかもしれない。