賃金停滞
日本で賃金が上がらない理由は何かと問われると、多くの人は「景気が悪い」「生産性が低い」「人口が減っている」など、経済的な数字や統計を理由に挙げる。しかし、この30年間、日本は景気の良し悪しにかかわらず、根本的に“人間の価値が上がらない構造”を続けてきた。だから、賃金も上がらない。
賃金とは、本来 「その人の価値の反映」 である。
価値とは、単にスキルや役職の話だけではなく、
・信頼
・責任
・創造性
・判断力
・人柄や人間性
こうした“目に見えない力”の総合点である。
だが日本社会は、この「目に見えない価値」を評価しない文化を長く続けてきた。
「同じ空間にいれば同じ価値」
日本は高度経済成長期、工場のラインに立てば誰でも同じ働きができた。
「属している」という事実が価値だった。
そして昭和、平成に入り、
“長く勤めれば価値が上がる”
“会社に忠誠を尽くすことが価値”
という評価軸が固定された。
この価値観が、令和の日本にも強く残っている。
つまり「どれだけ存在するか」が評価の軸であり、
「どれだけ価値を生み出すか」は二の次になってきたのである。
ここで賃金を上げることは構造的に難しい。
なぜなら、価値の基準が曖昧なままだからだ。
価値が測れない国は、賃金を上げられない
世界では、企業は人の価値を細かく測り、評価し、報酬に反映させる。
しかし日本は
「誰がどれだけ貢献しているのか」
を言語化する文化が弱い。
結果として、
・頑張っても評価されない
・成果を出しても昇給しない
・逆に成果がなくても年齢で上がる
こうした“価値不在の賃金体系”になった。
誰かの賃金を上げるためには、
「その人の価値が本当に上がったか」
を示す必要がある。
しかしその“価値の物差し”が曖昧な国では、賃金は永遠に上がらない。
日本が恐れてきたもの
日本の社会が特に恐れてきたものがある。
それは
「個人の価値の差が明確になること」
である。
価値の差が明確になると、組織が乱れると思ってきた。
だから横並びを維持し、みんな同じように扱い、
「差が見えること」を避けてきた。
だが世界は逆だ。差を可視化し、その差の理由を説明し、改善の機会を提供し、個人の価値を育てていく。
日本は、ここを“苦手なまま”来てしまった。
人間の価値が上がらないまま失われた30年へ
賃金が上がらない国は、実は
「人間の価値が上がらない国」
である。
価値を見てこなかった。
価値を育ててこなかった。
価値を言語化してこなかった。
価値を評価してこなかった。
結果として、
人材が育たず、
賃金も上がらず、
国全体の価値が停滞した。
日本の現実は、経済の問題ではなく“人間観”の問題である。
では、何を変えればいいのか
答えはシンプルだ。
人の価値を上げる社会にすること。
それは一部の優秀な人の話ではなく、
どんな仕事にも尊厳があり、
どんな人にも成長の物語があるという前提で社会を作ることだ。
人の価値を上げる社会とは、
・教える文化のある社会
・挑戦を笑わない社会
・失敗を許容する社会
・対話で価値を言語化する社会
・「ありがとう」が働く現場にある社会
である。
賃金とは「後からついてくる結果」にすぎない。
人間の価値が上がれば、必ず賃金は上がる。
価値のない社会から価値ある社会へ。
その転換こそ、令和の日本が本当に向き合うべきテーマである。



