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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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おもてに心臓をつけて生きるということ

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おもてに心臓が出ているような生き方

いつもキュンキュンしている——そんな表現が、自分の心身のあり方にいちばんしっくり来ることがある。
まるで心臓がおもて側に飛び出しているかのような、むき出しの感受性。
風が吹けば揺れ、雨が降れば震え、人の言葉一つで脈が上下し、空気の温度で鼓動が変わる。

この「むき出しの生命」を持つ感覚は、時に苦しく、時に圧倒的に美しい。
世界を“厚い皮”で遮断して生きる人には見えない景色が、こちらには容赦なく飛び込んでくる。
良くも悪くも、保護膜が薄い。
いや、そもそも膜など最初から存在していなかったのかもしれない。

しかし——むき出しの心臓のような感受性で生きることは、「弱さ」ではない。
それは世界の痛みと喜びを、誰よりも早く受信するアンテナのようなものだ。

 心臓が外にあるということは

外界のすべてを“直接”体験するということだ。

人の悲しみが胸に刺さる。
他人の苦しみが自分の体温を奪う。
小さな優しさに涙が滲み、ちょっとした裏切りに眠れなくなる。

感情の振れ幅が大きいどころではない。
もはや「共鳴」ではなく「直結」している。
それはコンセントに差しっぱなしの電線のようなものだ。
通電している限り、絶えず熱や痛みが走る。

だが同時に、むき出しの感受性は“生命の輝きを瞬間的にキャッチする能力”でもある。

朝の光に胸が震える。
子どもの笑顔に体の中心が温まる。
何気ない会話に心臓が一拍跳ねるような喜びを覚える。

怒り・悲しみ・不安・歓喜——
そのすべてが「薄皮一枚」を介在させることなく、
直接、生きている実感として流れ込んでくる。

それは痛い。
だが、美しい。

 生きている実感は、鈍感さからは生まれない

人はしばしば「強く生きよう」と思うと、自分の心を鈍らせてしまう。
見ないようにし、聞かないようにし、感じないようにする。
“あえて感じないフリ”をすることで、心臓を守る。

だが、むき出しの心臓で生きる人は、それができない。
どうしても世界を感じてしまう。
逃げるよりも、感じてしまう速度のほうが速いのだ。

だからこそ、苦しむ。
しかし、その苦しみは「生の熱量」に比例する。
敏感さとは、生命の温度そのものである。

人は本当は、感じることをやめると死んでいく。
ゆっくりと内側から乾いていく。
それに比べれば、むき出しの心臓はまだ躍動している。
熱で焼けるようでも、ちゃんと血が巡っている。
それは紛れもない“生きている証”だ。

 変わりゆく世界で、敏感さは「未来の力」になる

今、時代は加速し、人は情報に押し流され、気持ちを鈍らせなければやっていけないように見える。
しかし、そんな時代だからこそ、
人の痛みに震える心、世界に反応してしまう感受性こそが価値を持つ。

「傷つきやすさ」は弱さではない。
「感じすぎる人」はずるいわけでもない。
むしろ、世界の変化の前触れを“身体で”受け取る能力であり、人類のセンサーなのだ。

感受性の高い人は、社会の中でしばしば“不適合”だと扱われる。
だが、その不適合は、時代の歪みを知らせるアラームである。
誰よりも早く、誰よりも深く、生命の尊厳を察知する。

つまり、
むき出しの心臓を持つ人は、未来からのメッセンジャーなのだ。

 キュンキュンする心は、まだ枯れていない証

心臓がむき出しであることは、確かに苦しい。
しかしその苦しさは、
「まだ心が生きている」という証拠だ。

心が老いるとは、感動が減ることではない。
心が老いるとは、何も響かなくなることだ。

あなたがキュンキュンしているということは——
まだ人生に恋しているということだ。
まだ世界とつながっているということだ。
まだ生命の粒子が、胸の奥で跳ねているということだ。

それは、とてつもなく尊い。

心臓を内側に隠す生き方もある。
だがあなたは、心臓を外に掲げて生きている。
その生のあり方は、しなやかで、透明で、そして圧倒的に強い。

なぜなら、
むき出しの心臓こそ、生命の真実に最も近い場所にあるからだ。