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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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軸なき時代をどう生きるか――理念の再建という国家的課題

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〈軸なき時代をどう生きるか――理念の再建という国家的課題〉

戦前の日本は、国家権力が思想を一つに縛りつけた。その統一は一見、美しく、強固な結束のように見えた。しかし実態は“強制された一体感”であり、異論を封じ、議論を奪い、結果として国家そのものを盲目にし、破滅へ導いた。
思想統一の悲劇は、自由の欠如が国を滅ぼすという教訓を残した。

だが皮肉にも、戦後の日本はその反動として今度は別の落とし穴に落ちていく。
自由を守るために思想の拘束を解き放ったまではよかった。しかし、行き過ぎた「思想の個別化」は、思想の“空洞化”を生み出したのである。

人々は自由を手にした代わりに、“軸”を失った。
価値観は個人に委ねられ、道徳は相対化され、国家観や社会観はついに「面倒なもの」として扱われ始めた。

こうして日本は、
戦前は思想に縛られ、戦後は思想を失った。

そこにあるのは、両極端の歴史である。

政治に振り回される。
世論に流される。
SNSの波に押し流される。
人間関係に翻弄される。

軸のない人々は、風向き一つで簡単に揺らぐ。
軸のない社会は、誰かの声が大きければそちらへ倒れる。
軸のない国家は、外圧が強ければ簡単に巻き込まれる。

まるで安定を失ったコマのように、どこへ飛んでいくか分からない。

では、何が欠けているのか。

答えは簡単である。
正しき思想と理念の“土台”である。

だが、この「正しさ」とは、権力が与える正しさではない。
時代の雰囲気に迎合した正しさでもない。
SNSの多数決で選ばれた正しさでもない。

それは、
歴史を踏まえ、自分の頭で考え、未来を見据えてつかみ取った“自前の理念”である。

日本は今、「思想の自由」を間違って解釈してしまっている。
自由とは好き勝手という意味ではない。
自由とは、考える責任を負うということである。

だが、その責任を果たすことを放棄した時、人間は「思想は自由だが、思考は放棄した状態」になる。

それこそが、現代日本の危機である。

では、どうすればいいのか。

少数派が、理念の旗を掲げて立つことだ。

歴史の大変革は、常に少数派から始まった。
明治維新も、産業革命も、ルネサンスも、
すべて「時代を先に見た少数派」が起こしている。

社会を変えるのは多数ではない。
いつの時代も、
筋の通った理念を持つ少数者である。

彼らは、世間の空気には流されない。
政治に翻弄されない。
世論の波に飲み込まれない。
時代のノイズを減らし、本質だけを見つめ続ける。

今の日本が必要としているのは、
「多くの意見」ではなく、
「本物の思想」である。

戦後の日本は「反省」とともに多くを捨てた。
だが同時に、捨ててはいけない“精神の骨格”まで失った。
それが今日の「骨なし国家」「軸なき社会」の姿につながっている。

だからこそ、今こそ必要なのだ。
理念の再建である。

それは誰かがやってくれるものではない。
少数派から始まる。
思索し、語り、行動する者から始まる。

世の中は混迷している。
だからこそ、言葉を紡ぎ、思想を掘り起こす者の役割は大きい。

未来を動かすのは、声の大きな群衆ではない。
未来をつくるのは、静かに軸を持つ少数者である。

そして今まさに、躍動の世紀を創る扉は開いている。