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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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病という“もうひとりの自分”——敵か、内なる声か

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病という“もうひとりの自分”——敵か、内なる声か

病とは何か。
この問いに、人は古くから二つの答えを持ってきた。
一つは「病は外から来た敵である」という考え。
もう一つは「病は自分の内側から生まれた、もうひとりの自分である」という捉え方だ。
どちらを選ぶかは自由だが、その選択は、実際に体の働き方を変えるほど強い力を持っている。

たとえば癌。
多くの人が、癌を“悪者”として、外部から侵入してきた破壊者のように想像する。
しかし医学的に見れば、癌細胞はもともと自分の細胞だ。
ただ少し、いや、ある瞬間に「誤った増殖プログラム」にスイッチが入っただけだ。
言い換えれば、癌は“外敵”ではなく、“変質した自分”である。
その事実をどう受け止めるかで、心の動きも、身体の反応も変わる。



 敵として見るとき、身体は戦闘態勢に入る

病を敵と捉えた瞬間、心の奥で“戦う準備”が始まる。
恐怖、不安、怒り——これらはすべて身体に同じ命令を送る。
「交感神経を上げろ」「戦え」「緊急事態だ」と。

この状態は短期的には有効だ。
傷ついたところを修復しようとし、身体を守ろうとする。
だが問題は、病との向き合いは多くの場合、短距離走ではなく長いマラソンであるということだ。
逃げ場のない敵意は、やがて慢性的ストレスとなり、免疫は疲弊し、
「雑な攻撃」「炎症の暴走」「回復力の低下」という現象を引き起こす。

つまり、“敵視”が長引くほど、身体は自分自身を守れなくなる。
敵に向かう意志が、自らの力を蝕んでいく——こんな皮肉はあまりに静かで、しかし深い。



 病を“自分の一部”と捉えるという逆説

では、病を味方とするのか?
そんな単純な話ではない。
“受け入れる”とは、病を肯定するでも、治療を拒むでもない。
ただ、恐怖に飲まれるのをやめるということだ。

興味深いことに、「受容」という心の姿勢は、
免疫・ホルモン・神経の働きを一斉に整え始める。
副交感神経が優位になり、呼吸が深まり、筋肉の緊張がゆるむ。
その穏やかさの中で、免疫はもっとも精密に働く。

癌細胞も、ウイルスも、炎症も、
身体が落ち着いた時にこそ“正しい相手”だけを識別し、必要以上に暴れない。
それはまるで、混乱の戦場が、一瞬深呼吸したことで全体図を把握し、
“どこを狙うべきか”が明確になったかのようだ。

心の静けさは、免疫の精度を高める。
これは科学的にも哲学的にも、ひとつの真実だ。



 病は“内なる対話者”という視点

病が自分から離れた敵なら、ただ追い払えばいい。
しかし病が“自分の一部”だとしたらどうだろう。
そこには必ず、メッセージがある。

「もっと休め」
「生き方を軌道修正せよ」
「その怒りは限界だ」
「その悲しみはまだ処理されていない」
「体は、お前を守ろうとしている」

病は、多くの場合、身体が「限界を知らせるため」に形を変えたものだ。
無理を続ける人には痛みが走り、
抑え込み続けた感情には炎症が灯り、
生活の乱れには自律神経の乱れが返ってくる。

つまり病とは、“身体の言葉”でもある。
言葉を話せない身体が、唯一発できるサイン。
その意味で、病とは“敵”ではなく“内なる声”だ。

もちろん、病そのものに手加減はない。
癌であれば増え続けようとし、感染症なら体内で拡大しようとする。
しかし、それをただ“暴走”と見るか、
身体の仕組みが示す“何かの歪み”と見るかで、
心の構えは根本的に変わる。



 病が教える「自分がいかに自分を扱ってきたか」

病と向き合うとは、
自分の身体と、そして自分の生き方と向き合うことでもある。

病を憎めば、自分の身体を憎むことになる。
病を無視すれば、自分の限界を無視することになる。
病と対話すれば、身体の声を聞くことになる。

どの道を選ぶかは、自分自身だ。
だが、もし病が“もうひとりの自分”だとしたら、
その存在が発するメッセージを聞き取ることは、
自分の人生そのものを守ることにつながっている。



 病は敵でも味方でもない。“鏡”である。

病は、自分がつくり出したものとも言えるし、
自分の一部が誤作動している姿とも言える。

しかし、ひとつだけ確かなことがある。

その捉え方こそが、免疫を変え、心を変え、結果として身体の行方をも変える。

病は、敵として戦えば戦うほど暴れることもある。
病は、静かに受け入れると、身体の治癒力が働きやすくなることもある。
病は、憎むほど苦しみを増やし、
病は、理解しようとするほど、自分の中にスペースをつくる。

病は、人生の鏡である。
そこに映るのは、これまで自分がどのように自分を扱ってきたか。
そしてこれから、どう自分を扱うか。

病は敵ではなく、
自分という生命の「奥深さ」を教えてくれる、
もうひとりの教師なのかもしれない。