積み上げすぎた心の荷物を軽くする方法
アンラーン。
「学びほぐし」「手放し」「脱・固定観念」。
言葉にすれば簡単だ。
風通しのいい未来を感じさせる響きも持っている。
しかし、実際のアンラーンはそんなに軽いものではない。
特に昭和を生き抜いてきた世代にとっては、
降ろすという行為は「否定」に近く感じられる。
積み上げてきた努力、汗、根性、責任感、義理、我慢、忍耐。
それらは人生の土台であり、誇りであり、
生きる“筋肉”そのものだった。
だから、「降ろす」と言われても、
何を降ろしていいのかわからない。
しかも厄介なのは、
“降ろしたつもりで、実はまた積んでいる” という現象だ。
「もう昔のやり方はやめよう」と思った瞬間、
その“やめよう”という意志そのものが
新たな価値観として積み重なり、
また固まっていく。
これこそが
アンラーンの一番の落とし穴である。
アンラーンとは、
大掛かりな破壊でも、
全否定でもなく、
重かった荷物を無理に投げ捨てることでもない。
“降ろすつもりでまた積む” という構造そのものに気づくこと。
これが第一歩なのだ。
そして、もうひとつ大切な視点がある。
「降ろす」ではなく「圧縮する」でもいい。
降ろすのがつらいなら、
ムリには捨てなくていい。
積み重ねたものを否定する必要もない。
ただ、
そのままでは重すぎたり、
時代と噛み合わなかったり、
動きが鈍くなるなら。
圧縮すればいい。
・迷惑をかけないよう必死で頑張ってきた「昭和の責任感」は
→ もっと軽やかな「自律」として圧縮する。
・我慢して耐え抜いてきた経験は
→ 「寛容」「許す力」へ圧縮する。
・年下に教えるための“上から目線の知恵”は
→ 対等に向き合う“伴走の知恵”へ圧縮する。
・強さや根性は
→ 柔らかい芯の強さへ圧縮する。
降ろせないもの、降ろしたくないもの、
降ろすと自分が自分でなくなるようなもの。
そういうものは、捨てる必要はない。
重たい形ではなく、
軽やかな形に圧縮して持ち運べばいい。
アンラーンとは、
何もかも捨てることではない。
過去と決別することでもない。
「形を変える」こと。
「軽くする」こと。
そして何より、
「その仕組みに気づいていく」ことである。
昭和は重く、令和は軽い。
その狭間にいる私たちは、
捨てられなくてもいい。
ただ、圧縮して前に進めばいい。
その気づきこそ、
もっとも現実的で、
もっとも優しいアンラーンである。
作品名:積み上げすぎた心の荷物を軽くする方法 作家名:タカーシャン



