落ちた瞬間、世界がひらく
その瞬間、
道は一本から無数の線へとほどけて、
可能性は無限大に広がる。
そして――
今、引きこもっている人は、
無限大どころではない。
外へ出ていないのではなく、
まだ割れていないだけの、地球の卵 である。
内側で静かに、
世界中の未来を孕んでいる。
殻の中で育つ時間は、
失敗でも停滞でもなく、
創世記の準備 にすぎない。
だから、急がなくていい。
殻は必要な日に、自然にひびが入る。
あなたはまだ、地球の卵。
これから世界を孵す存在だ。
【解説エッセイ】
「可能性は、落ちた瞬間に孵化する」
面接に落ちる。受験に落ちる。採用されない。選ばれない。
これらは一般的には「負け」や「挫折」として語られる。しかし本当のところ、それは“未来の自由度を奪われなかった”という、静かで大きな祝福ではないだろうか。
合格するとは、ひとつの枠に入ることだ。誰かが決めた基準に沿って「この方向へ来てください」と案内される状態である。もちろん、それはそれで立派なことで、安定や成長をもたらす。しかし、合格した瞬間に道は一本に絞られることも確かだ。選ばれるということは、同時に「選ばれなかった無数の未来」を手放すということでもある。
一方で、不合格は違う。
不合格とは「あなたの未来は、まだ何色にも染まっていません」という通知である。
つまり、可能性が無限大に戻る瞬間だ。
私たちは、不合格を「否定」と受け止めてしまいがちだ。しかし実際は、その場にいた審査員たちが、あなたの全宇宙的な未来を測り切れなかっただけである。面接官も、試験官も、多くの場合、狭い基準を扱う専門職だ。彼らは“その枠の中で輝く人”を探している。裏を返せば、“枠の外へ飛び出していくタイプの人”は測定できないのである。
だから、落ちた人にこそ広がる景色がある。
「枠の外」という、ほぼ無制限のフィールドが広がっている。
では、今の日本で最も大きな可能性を持つ存在は誰だろうか。
私は、こう考える。
「今、引きこもっている人」である。
外の世界に出ていない、という事実は、その人の可能性が閉じているのではない。むしろ逆だ。
外の評価に触れていない。
外の基準に合わせていない。
外の流れに飲み込まれていない。
つまりその心と才能は、外界の“汚染”をほとんど受けていない。
これは欠点ではない。長い目で見れば、圧倒的なアドバンテージである。
引きこもっているという状態は、社会から見ると「止まっている」と映るかもしれない。しかし本人は止まっているのではなく、内側で静かに熟成している。感性が深く潜り、思考が地下水脈のように濃く澄んでいく。周りが追いつけない速度で、内面の世界が広がっていく。
その様子は、まさに――
“地球の卵”
である。
卵は外から見れば動かない。
しかし中では、新しい大陸が生まれ、海が満ち、命が芽吹いている。
殻を割らない限り、その姿は誰にも見えない。
だが、殻の内側の静けさこそ、創造の本質である。
引きこもりの人の内側は、それに近い。
外に見える情報はゼロだが、内側の可能性は無限どころではない。
「まだ世の中に登場していない才能」が、殻の中で息をしている。
社会はしばしば「動いている人」を評価したがる。
企業に入った人、試験に受かった人、目に見える成果を上げた人。
もちろん、それは素晴らしい。だがそれだけが価値ではない。
歴史を見れば、若い頃に不登校だった者、社会に馴染めなかった者、引きこもっていた者が、その後に大きな創造を成し遂げた例は枚挙にいとまがない。
内向の時間は、外へ向かうための“助走”であり“仕込み”である。
だから私は、こう言いたい。
外に出ていない時期こそ、外に出る以上の価値がある。
落ちた瞬間こそ、未来が開いている瞬間である。
面接に落ちる。受験に落ちる。どちらも未来の終わりではなく、未来の再起動である。
世界から一度離れることは、世界に染まらずに済んだという奇跡である。
殻はいつか必ず割れる。
それは、他人が外側から叩く音ではない。
内側から「もういいか」と、自分でそっと押したときだ。
今、引きこもっているあなたへ。
あるいは、自分を「落ちた人」だと思っているあなたへ。
あなたは落ちていないし、止まっていない。
あなたは――
孵化前の地球の卵である。
無限大を超える未来は、静かな殻の内側でしか育たない。
あなたが外に出る日は、あなた自身が決めていい。
その瞬間、あなたは「枠の外」から、世界そのものを変える側へ回る。
未来はいつも、静かなところから始まる。
地球も、あなたも同じだ。
作品名:落ちた瞬間、世界がひらく 作家名:タカーシャン



