失敗という名の地層の上で、世界はまわっている
―成功だけが太陽の下に顔を出す理由―
世の中は、華やかな成功の話で満ちている。ベストセラーの帯には成功者の名言が踊り、SNSでは「うまくいった瞬間」だけが切り取られ、インタビューでは逆転ストーリーが美しく語られる。しかし、ふと立ち止まって考えてみると、この世界の大部分はそんな“物語としての成功”ではなく、名前もつかない失敗の堆積でできている。
成功とは、大陸にぽつりと浮かぶ山の頂のようなものだ。
山そのものが大地から突然生まれたように見えるが、実際は長い時間の中で、火山活動、隆起、浸食という見えない変化が重なった結果、ようやく地上に顔を出す。人が語る成功もこれと同じだ。頂上だけが見えるが、その下には長年の迷いや選択ミス、努力が空回りした日々、続けるか辞めるか揺れた心、理解されない時間が何層にも重なっている。
だが、失敗は語られにくい。
その理由はシンプルだ。失敗は複雑で、説明が面倒で、誰にも自慢できない。人は結果が出たあとに道筋を“物語化”してしまうため、AからBへ進み、BからCへ迷って戻り……という本当のプロセスは、語られる頃には「最初から狙っていた」ように整えられる。成功はまっすぐな線に変換され、失敗は物語の裏側に押し込められる。
そして私たちは錯覚する――「世の中は成功でできている」と。
けれど本当は、その逆だ。
世界のほとんどは、失敗でできている。
人類の発明は、膨大な試作とミスの末にたまたま生まれたものだし、歴史の多くは誤算と誤解の連続で動いている。個人の人生も例外ではない。私たちの毎日は、ほとんどが「やりすぎ」「やらなすぎ」「判断ミス」「先延ばし」「言いすぎ」「言わなすぎ」の集合体だ。
しかし、この“ほころびだらけの毎日”こそが、人を前進させている。
大切なのは、失敗が消え去るのではなく、沈殿して土台になるということだ。
失敗は人生の底に堆積して、やがて地圧のように私たちを押し上げる。そうして気づけば、ある日、成功の小さな頂点だけが太陽の下に現れる。それを人は拍手してくれるが、実際に自分をつくったのは、拍手されない方の膨大な沈殿物だ。
つまり、「成功」とはごほうびではなく、失敗の量に比例して偶然咲く花である。
咲いた花だけを見れば、世界は花畑に見える。
でも、花を咲かせているのは、地下に広がる巨大な根――つまり、失敗だ。
世の中は成功で輝いているように見えるが、その光の大半は、
失敗が発光させている。
見えない地層にこそ、本当の価値がある。
そして、人は今日もまた、見えない地層を積み重ねながら生きている。
作品名:失敗という名の地層の上で、世界はまわっている 作家名:タカーシャン



