人材育成哲学
〈すべての人は何かの天才であり、使命を持つ〉
人材育成という言葉を耳にすると、多くの人はまず「育てる」という行為を思い浮かべる。しかし、長年にわたり組織で人と向き合い、部下や同僚を見てきた経験から断言できるのは、人材は不足しているのではなく、見えていないだけだということだ。私たちは、目の前にいる人の本質を見抜けていないだけであり、適切に光を当てれば、誰もがその才能を発揮できる。
すべての人は、必ず何かの天才である。天才とは、突出した能力だけを指すのではない。器用で何でもできる人は確かに目立つかもしれないが、そうでない人の中にも必ず突出した部分がある。数字に異常に強い人、話すのは苦手だが聞き上手で人を安心させる人、細かい作業に異様な集中力を発揮する人、失敗を恐れるがゆえに準備を完璧にこなす人…。その偏りこそが天才の証であり、誰もが持っている光である。
では、なぜその天才性が見えにくいのか。理由は三つある。第一に、人を役割や肩書きの枠に押し込めてしまうことだ。組織は効率のために人を型にはめる。しかし、その型に収まらない才能は、表に出ることなく埋もれてしまう。第二に、欠点や弱みの影に隠れて光が見えにくくなることだ。完璧でない部分に目が行きすぎると、その人の強みは霞む。第三に、本人自身が自分の才能に気づいていないことが多い。多くの人にとって、自分の当たり前は才能の裏返しであるため、周囲から指摘されるまでは気づかないのだ。
しかし、人は必ず使命を持って生まれてくる。使命とは「好き」「得意」「社会への貢献」が重なる一点であり、それは見つけるものではなく発火させるものである。適切なタイミングと環境、認めてくれる人、必要とされる瞬間が、その火を点す。だからこそ、人材育成は「育てる」ことではなく、見つける、認める、灯すことに尽きる。私たち指導者の役割は、天才性に光を当て、その使命の火を絶やさず燃やすことである。
この哲学を組織で実践するには、いくつかの方法がある。まず、評価の基準を「欠点ではなく強み」にシフトする。失敗や弱点に目を向けることは重要だが、それだけでは人材の本質を見逃す。次に、個々人の偏りに目を向け、適切な役割と環境を与えること。不得意な部分を無理に補おうとするのではなく、強みを活かせる土壌を作る。さらに、本人が自分の才能や使命を自覚できる瞬間を設計することも重要だ。成功体験や他者からの承認は、自己認識を大きく変え、使命を実感させる強力な契機となる。
そして何より、その時しかない瞬間を逃さないこと。才能が花開くタイミングは予測できない。しかし、指導者が目を凝らし、光を当て続ければ、必ずその瞬間は訪れる。人材育成とはタイミングの芸術であり、見逃した瞬間は二度と戻らないこともある。だからこそ、今目の前にいる人、今取り組んでいることに集中することが大切なのだ。
人材育成の真髄は、決して難しい理論や複雑な制度にあるのではない。人の中にすでにある光を見つけ、それを認め、燃やし続けること。これだけで、人は自ら成長し、使命を全うし、組織も社会も前進する。すべての人には価値があり、使命があり、天才性がある。私たちの役割は、その存在を信じ、目に見える形で輝かせることである。
結局、優れた人材育成とは「育てる」ことではなく、発見と承認の連鎖である。天才は待っていれば勝手に育つものではない。指導者が光を当て、環境を整え、承認し続けることで初めて、個々の天才性は花開く。そしてその瞬間こそが、人生における最も貴重な“その時しかない”瞬間である。



