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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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柔軟な責任論

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柔軟な責任論

〈当たり前を変えることで、世界が受け入れられる〉

責任とは、何だろうか。
日本ではしばしば、「決まっていることを必ず実行すること」という意味で使われる。
遅刻しない、期限を守る、求められた役割を淡々とこなす。
それは確かに大切だ。社会を円滑に動かすための“基本動作”であり、他者の信頼を支える仕組みでもある。

しかし私たちが抱える生きづらさの多くは、この「当たり前」の中に潜んでいる。
責任とは、本来もっと広く、もっと柔らかい概念のはずだ。
責任とは「自分の行動が生む影響を引き受ける姿勢」、言い換えれば“生き方の選び方”である。
にもかかわらず、いつの間にか「義務」のように扱われ、心を縛る言葉になってしまった。

責任を果たすとき、人はしばしば嫌な気持ちを抱く。
重い、しんどい、逃げたい。
胸の奥にうっすらとした反発が生まれる。
それは人間が不完全で、自由を求める存在である証拠でもある。
にもかかわらず、「責任なんだから当然だろ」という無言の圧力が加わると、人は疲れ果て、いつか燃え尽きる。
責任は安心を生む力を持つ一方で、過度な責任は人を消耗させる。
この二面性を理解しなければ、不自然な責任観は変わらない。

世界を見渡すと、責任にはもっと多様な形があることに気づく。
ヨーロッパには「できる範囲を交渉し、自分の限界を明確にした上で引き受ける」という文化がある。
北欧では「休むことも組織への責任」とされ、無理な引き受けはむしろ“無責任”とみなされる。
アメリカでは「挑戦する姿勢」そのものが責任の一部と捉えられ、結果よりも意図と行動の質が重視される。

このように、責任には世界中に異なる“色”がある。
ならば日本の責任観も、もっと自由に塗り替えていいはずだ。
「決まったことを必ずやる」という一点から、「どうすれば互いに幸せでいられるか」を軸に考える責任へと。
つまり、責任は“果たすもの”ではなく“デザインするもの”へ進化すべきなのだ。

柔らかい責任は、人の心を守る。
本音が言える。交渉できる。限界を認められる。助けを求められる。
それは結局、人間同士が文化の違いを受け入れるための最初の一歩になる。
責任を硬く握りしめる文化は他者を拒むが、責任を柔らかく扱う文化は世界を受け入れる。

「当たり前」を変えることは、些細なようでいて、実は社会の根っこを変える行為だ。
私たちの責任観がほぐれれば、人はもっとしなやかに生きられる。
そしてその柔らかさこそが、多様な価値観を抱く世界とつながるための“心の土壌”になる。

責任とは、私たちの自由と調和を設計し直すための道具。
もう一度、柔軟に、創造的に、責任を使う時代が来ている。
作品名:柔軟な責任論 作家名:タカーシャン