小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

認知症 ― 抑圧の思いが “あふれる時” を迎えたということ

INDEX|1ページ/1ページ|

 
認知症 ― 抑圧の思いが “あふれる時” を迎えたということか

認知症を「失われる物語」と捉える人は多い。
だが本質は、むしろ 長く押し込めてきた思いが、静かに表面へ浮かび上がる現象ではないか。

人は、人生のどこかで
言えなかった言葉、
飲み込んだ怒り、
先送りした本音、
自分でも気づかぬまま凍結させてきた感情を
心の深層へ沈めて生きる。

認知症は、その「封印庫」の鍵が
ゆっくりと緩んでいくプロセスかもしれない。
記憶の秩序が溶ける一方で、
長年の抑圧が、
もはや制御できないやわらかな形で流れ出す。

それは苦しみだけではない。
幼い心のまま残っていた純粋さ、
人を求める本能的なやさしさ、
守られたい願い、
感情の原型があふれてくる。

「忘却」とは、破壊ではなく、
心の水脈が自由に動き始める解放現象なのかもしれない。

だからこそ、介護する私たちが見るべきものは
“できない行為” ではなく、
“いまようやく流れ出ている感情の正体” なのだ。

怒りなら、かつて飲み込んだ痛みの跡。
不安なら、長く押し殺してきた孤独の影。
笑顔なら、胸の奥の温度。
呼びかけなら、やっと辿り着いた本音だ。

認知症は、
人が人生の最終章で迎える
「抑圧からの帰宅」かもしれない。

理性の壁が落ち、
心だけが先に自由になってしまう。
その姿は悲劇ではなく、
むしろ “人間の根源” の露出なのだ。

そう考えるとき、
私たちは認知症の人を
「失われた人」ではなく、
“素手の感情で生きている人” として
まったく違う眼差しで見守ることができる。