収入を得ることが仕事ではない——本来の仕事とは
「仕事」と聞くと、多くの人はまず“収入”を思い浮かべる。
お金を稼ぐ行為。生活費を得るための手段。
だが、その理解は本来の仕事の“半分”しか捉えていない。
そもそも仕事とは、人が社会とつながり、自分の価値を外に向けて表現する行為だ。
収入はその結果としてついてくる“副産物”にすぎない。本質ではない。
仕事の本質を問い直すと、次の三つに行き着く。
仕事とは「役割」である
世の中に存在するすべての仕事は、誰かの不足・不便・不安を埋めるために生まれた。
つまり仕事とは、「社会のどこかに開いている穴を埋める行為」である。
料理人は人の健康と喜びを満たす。
運転手は移動の不安を解消する。
芸人は笑えない時間に光を差しこむ。
人と人をつなぎ、信頼を橋渡しするのも立派な“社会の穴を埋める役割”だ。
役割を果たすことが“仕事”であり、
収入は「よく役割を果たしてくれてありがとう」という、後からつく評価にすぎない。
仕事とは「自分の力を社会に流す行為」である
力を溜め込んでいても、価値にはならない。
知恵・経験・感情・熱意——それを社会に流し込むことで初めて“仕事”になる。
だから、本来の仕事は“自己表現”に近い。
長年の努力で築いた経験、みずからを律してきた人生、涙を見せずに踏ん張ってきた現場……それらすべてが他者に届くとき、仕事になる。
収入は、あなたの力が誰かの力に変換された証拠であり、対価だ。
仕事とは「生き方の翻訳」である
どんな人も、その人だけの物語を生きている。
怒りも哀しみも誇りも躊躇も、そのすべてが人生の栄養だ。
仕事は、その人生を「誰かに渡す形に変換するプロセス」でもある。
誠実さとは何か。
約束を守るとは何か。
諦めないとは何か。
それを背中で語ることこそが、本来の仕事だ。
結論:収入は「結果」でしかない。仕事は「姿勢」である。
収入を得るために働くのではない。
自分の力を誰かに届けるために働く。
その行為が評価され、価値が認められたとき、ようやく収入が生まれる。
時代がどれほど変化しようと、この原理だけは揺るがない。
だからこそ、本来の仕事とは——
「誰かの明日を、自分の力で少しだけよくすること」
それ以上でも、それ以下でもない。
作品名:収入を得ることが仕事ではない——本来の仕事とは 作家名:タカーシャン



