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タカーシャン
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novelistID. 70952
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現代は、予感も不安も“ほぼいらない”のでは

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現代は、予感も不安も“ほぼいらない”のでは

人間には、本来「未来を予測し、危険を避けるための脳」が備わっている。
予感は、無意識に蓄積された経験の統計モデルであり、不安は、扁桃体が危険を察知して身体を守るための生存装置だ。
どちらも、太古の大自然では命綱だった。しかし、現代社会ではその前提が大きく崩れている。

いま私たちが暮らす世界は、10万年前とは比較にならないほど安全である。
交通インフラは整い、家は頑丈に建てられ、医療は命を延ばし、法律は暴力から守り、国は治安を維持し、テクノロジーは危険を事前に察知する。
つまり、人間が“個人の直感”で危険を避ける必要は、極端に少なくなっている。
生存のための予感や不安は、社会システムに置き換えられたと言ってよい。

しかし脳は、進化の速度を社会の変化に合わせられない。
だから、必要以上に警戒し、必要のない不安を抱え、必要のない予感に振り回される。
現代の不安の多くは「本物の危険」ではなく、「脳が昔の環境を前提にした過剰反応」である。

さらに、情報とテクノロジーが複雑に絡む時代では、個人の予感の精度は下がる。
経済、気候、企業、国際情勢――どれも直感で読み解ける構造ではない。
むしろ、直感よりもデータのほうが正確で、AIの予測のほうがずっと強い。
予感は温度計のようなものだが、現代の気象はあまりに複雑すぎるのだ。

不安に至っては、もはや人生の足枷でしかない。
SNS、ニュース、他人との比較。
危険でもない刺激に脳が反応し、不安ネットワークを暴走させる。
心の中に「危険でない危険」が大量に増産される。

では、現代において必要なのは何か。

それは「冷静な観察」と「一歩引いたメタ認知」である。
危険を誇張する脳の癖を見抜き、データや現実を基準に判断する力。
そして、過剰な予感や不安を“疑う”姿勢である。

もはや、予感も不安も昔のようには役に立たない。
むしろ、それに頼りすぎるほど、人生は狭く、小さくなる。
現代で生きる私たちに必要なのは、
「未来を恐れる力」ではなく、
“未来に向けて動き出す力”である。

そしてそれは、予感よりも、不安よりも、ずっと確かな力だ。