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タカーシャン
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novelistID. 70952
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SNSでコメントする人々は、なぜ自己肯定感が低くなるのか

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SNSでコメントする人々は、なぜ自己肯定感が低くなるのか

SNSのコメント欄を眺めていると、妙に刺々しい言葉や、誰かを断罪するような意見が絶えず流れてくる。面と向かっては決して言えないような暴力的な表現さえ平気で書き込まれ、過剰な正義と怒りが混ざり合っている。しかし、こうした極端な言葉を投げつける人ほど、どこか自己肯定感が低く、心が満たされていないように見える。なぜか。

SNSは、承認が“即席”で手に入る場所だ。投稿すれば数秒で反応が返り、瞬間的には心が浮き上がる。しかしそれは、ジャンクフードの満腹感のようなもので、満たされたようで深いところには届かない。本質的な安心や自信にはつながらず、むしろ依存と渇きを増幅させる“刺激物”に近い。だから人はさらにコメントを書き、さらに反応を求め、そして求めれば求めるほど、自分の内側の空白に気づいてしまう。ここから自己肯定感の下降が始まる。

さらに、SNSには比較の罠がある。他人の“成功の切り身”ばかりが提供され、現実の裏側はほとんど見えない。すると人は無意識に、「自分だけ足りない」「自分だけ遅れている」と感じてしまう。比較は必ず自己否定を生む。コメント欄は、その劣等感のはけ口として使われやすい。

SNSは感情の掃き溜めとしても機能する。匿名性や距離感のせいで、リアルでは抑えている怒りや不安を吐き出しやすい。しかし攻撃的な言葉を発すれば発するほど、心はさらに荒れていく。言葉の刃は相手だけでなく、自分にも深く突き刺さる。

さらに言うなら、SNSのコメント内容は極端に偏っている。褒める人は過剰に褒め、批判する人は徹底的に叩く。中庸の意見はほとんど届かず、極端な主張だけが膨らんでいく。これはアルゴリズムが刺激の強い言葉を好む構造が原因だが、もう一つ大きな理由がある。極端な言葉を発する人の心には、しばしば深い 疎外感 が潜んでいるのだ。

「自分の居場所がない」「誰にも本音を聞いてもらえない」。そんな孤独や分断の感覚が、言葉を尖らせる。人は疎外感を抱えると、表現まで孤立し、極端化する。偏った意見は思想ではなく、存在証明のための叫びになる。「誰かに気づいてほしい」「自分を認めてほしい」という心の声が、攻撃的な言葉の形で表に出てしまう。

結局のところ、SNSで極端なコメントを繰り返す人々は、強いのではなく、むしろ居場所を失った弱さを抱えているのだ。承認の即席化、比較の強制、怒りと孤独の増幅――それらが組み合わさり、自己肯定感をさらに削っていく。

SNSのコメント欄とは、人の怒りの広場ではなく、満たされない心が映り込む鏡なのかもしれない。