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タカーシャン
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冥伏という生の段階――光へ向かうための沈潜

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冥伏という生の段階――光へ向かうための沈潜

 人は、生涯のうちに何度か大きな休みに入る。仕事を離れ、活動を止め、スポーツを辞め、恋愛や人間関係から距離を置くこともある。一般には「休職」「離脱」「ブランク」と呼ばれるが、これらの言葉には弱さや後退の響きがつきまとう。しかし本来、長期に休む行為は、敗北でも逃避でもない。それはむしろ、次の段階へ向かうための沈潜であり、生命が深いところで自らを組み替えている時間である。私はその状態を、あえて古い語感を借りて 「冥伏(みょうぶく)」 と呼びたい。

 冥伏とは、冥(くら)き場所へ伏すことを意味する。だがその“暗さ”は、人が思い描くような悲嘆や停滞の暗闇ではない。むしろ、種子が地中に埋まり、発芽に必要な湿りと温度を蓄える“母なる暗がり”に近い。地表からは見えないが、見えないところでは確実に力が育っている。外側は静止しているように見えて、内側では絶えず組み替えが行われている。人が長期に休むときも同じである。社会の視線から遠ざかったその沈黙の背後では、経験が醸され、価値観が組み変わり、心の奥底に沈んでいた思考がゆっくりと浮上し始める。

 社会は往々にして「活動」だけを価値づける。動き続けること、発信し続けること、成果を出し続けることに過剰な意味が与えられる。しかし、活動とは本来、静止と連動して初めて成立するものである。弓を放つには、まず深く弦を引かなければならない。呼吸もまた、吸って吐くという循環を必ず踏む。人間の精神も同じだ。ずっと表で働き続けることは、ずっと吐き続けるのと同じで、やがて空洞化する。

 冥伏とは、「吸う」にあたる時間である。外界の雑音からいったん身を引き、心身を整え、エネルギーを回収し、本来の姿へ戻っていくプロセスだ。それは怠惰ではなく、むしろ高度な自己保全であり、生き延びるための智慧である。

 恋愛や人間関係においても、冥伏はしばしば必要となる。人は他者の期待や空気に応えようとするうちに、知らず知らず自分を消耗させる。距離を置くことは、相手を拒む行為ではなく、関係が呼吸を取り戻すための間(ま)である。冬眠した熊が春に目覚めるように、人間関係もまた、静かな時期を通過することで再び血が通い始める。
 スポーツも同じで、怪我をしたとき、身体は「治癒」という目に見えない活動を続ける。筋肉は破壊と修復のサイクルから強さを得る。休むとは、身体が生き物として働き続けるために欠かせない工程なのだ。

 現代の問題は、人が「冥伏」を恥じてしまう点にある。長く休むことを言い出せず、疲労を抱えたまま走り続け、限界にぶつかったときにはすでに心も身体も磨耗している。これは個人の弱さではなく、冥伏の価値を見失った社会の構造的欠陥である。
 本来、人は休みに入るとき、自らの内側に深い洞窟を掘る。その洞窟に潜り、静かに座し、思考の沈殿を待つ。過去の経験は沈み、やがてその底から未来が立ち上がる。冥伏とはその過程そのものだ。

 そして重要なのは、冥伏には「出口」があるということだ。沈潜は永遠ではない。地中の種がいつか芽を出すように、人もまた時期が来れば自然と浮上する。そのとき、本人はしばしば気づかないが、以前とは別の人間になっている。価値観の角が取れ、視野が広がり、かつて重荷だったものが軽く感じられる。冥伏は変容であり、再編であり、脱皮である。

 長期休みを“ブランク”として恐れるのではなく、人生の節目としての冥伏期 と捉えることで、生のリズムは大きく変わる。冥伏は避けるべき状態ではなく、生きる力を回復するための自然な循環だ。光へ向かうためには、いったん闇に伏す必要がある。闇を否定しないこと。沈黙を恐れないこと。そこにこそ人間の成熟がある。

 冥伏とは敗北ではなく、序章である。
 そして序章なくして、どんな物語も始まらない。