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タカーシャン
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novelistID. 70952
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自動車産業に巣食う「いい加減」の構造――なぜ不祥事はなくなら

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自動車産業に巣食う「いい加減」の構造――なぜ不祥事はなくならないのか

 長年、自動車に関わる仕事をしていると、どうしても胸の奥に澱のように沈殿してしまう疑問がある。なぜ、この業界は「いい加減」なのか。なぜ、何十年も同じ種類の事故、不祥事、整備ミスが繰り返され続けるのか。エンジン落下、ブレーキ外れ、タイヤ外れ、燃料の入れ間違い。車検後に車が壊れ、廃車に至る例すらある。中古車販売会社の不祥事、自動車メーカーの不正、配送ドライバーの不祥事、運送会社の労務違反――挙げ始めればきりがないほどだ。

 問題は個々のミスや事件ではない。なぜ “なくならない” のか。本質はそこにある。

 自動車は高度な工業製品であり、国を支えてきた基幹産業である。その裏側で、これほどまでに綻びが続くのはなぜか。私は、この “いい加減さ” を単なる怠慢とは見ない。むしろ、日本社会と自動車産業が抱える深層構造そのものが生んだ、必然の現象なのだと考えている。



  ①「責任の分散」がもたらす無責任

 自動車は、ひとつの命を預かる機械である。しかしその一台をめぐる過程には、メーカー、ディーラー、整備工場、保険会社、中古販売会社、運送会社、下請け、孫請けなど、驚くほど多くの主体が関わっている。

 それぞれが「自分のところは問題ない」「次の工程がチェックするはずだ」と思う。
 つまり、責任が薄まる。

 「誰の責任でもあるし、誰の責任でもない」
 この構造が、いい加減さを温存し続ける最大の土壌である。

 責任は分担された途端、誰かのものではなくなる。
 これは航空事故の研究でも指摘されてきた構造だが、自動車業界では日常化している。



 ② 速度と効率の呪い

 現代の自動車産業は、常にスピードを求められる。
 物流は「遅れ」が損失になり、整備業は薄利多売でサービス時間を短縮され、メーカーは新型車投入のプレッシャーに追われる。

 「安全より納期」
 「確認より作業効率」
 「品質よりコスト削減」

 こうした価値観が組織のマインドに入り込むと、いい加減さは必ず発生する。
 なぜか?
 人間は、時間と余裕を奪われた瞬間、判断力を失い、“ほころび” は必然だからだ。

 速度を優先する社会で、丁寧さは生き残れない。



 ③「ミスを許さない文化」が、逆にミスを増やす

 不祥事を起こした企業が厳しく叩かれるのは当然だ。しかし日本社会は、失敗を異常なまでに恐れる。
 その結果、現場では本来必要な報告が上がらず、
 「隠す」
 「ごまかす」
 「やり過ごす」
 という文化が生まれる。

 自動車メーカーの不正問題は、その典型である。
 データ改ざん、検査偽装、燃費試験の不正――。どれも組織全体が「失敗を恐れる」文化に沈黙してきた証だ。

 “ミスを出せない職場” は一見優秀に見える。
 だが実態は、ミスが表面化しないだけの危険な世界である。



  ④ 機械の高度化が「人間の退化」を生む矛盾

 車はますます賢く、安全装備は増え、AIが人を支援する時代になった。
 だがその一方で、整備士や販売員の技術が追いつかず、理解しないまま作業を進めるケースも増えている。

 技術が高度化するほど、現場は “理解しないまま触る” リスクにさらされる。
 その結果、作業ミスや設定ミスが増えるのは自然なことだ。

 「技術の進化」=「人間の進化」ではない。
 むしろ進化するほど、人間は理解しなくなる。
 この矛盾が事故の温床となっている。



 ⑤ 車は“一生命を預かる道具”であるという自覚の希薄化

 自動車に慣れすぎた社会は、その危険性を忘れる。
 運転する人も、整備する人も、売る人も、
 「命を預かる行為」 という本質感覚を薄めてしまった。

 毎日触れ、毎日見て、当たり前になるほど、危機感は消える。
 恐ろしいことに、危険なものほど「日常化」すると軽視される。

 これは心理学でも説明できる。
 リスクの常在化は、感覚麻痺を生む。

 その麻痺が業界全体を覆い続けるかぎり、いい加減さは消えない。



では、どうすればいいのか

 私は単純に「もっと厳しくしろ」とは思わない。
 規制強化や罰則強化だけでは、人は追い詰められ、逆に隠すようになる。

 必要なのは、
 ① 余裕を生む仕組み(時間・人員・教育)
 ② 失敗を隠させない文化
 ③ 責任の所在を明確にする制度
 ④ 技術に合わせて“人”を進化させる教育
 ⑤ 命を扱う職業としての誇りの再構築
 である。

 車は人の命を運ぶ器だ。
 本来、この業界は “最も丁寧さが求められる職業” であるべきだ。
 だが、現実は丁寧さと真逆の方向に走り続けている。

 だからこそ、私は問いたい。
 「いい加減さ」は個人の性格ではなく、構造である。
 その構造を変えずに、事故や不祥事だけを責め続けても、何も変わらない。

 自動車が命を預かる道具である限り、
 “いい加減さ” は許されない。
 しかし、それがなくならない理由は、社会全体の中にこそ埋め込まれているのだ。