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タカーシャン
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仕事とは何か──収入と行動のあいだで揺れる人間

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仕事とは何か──収入と行動のあいだで揺れる人間

 「仕事とは、収入があるものを指すのか。それとも、行動そのものをいうのか。」
 この問いは一見すると単純だが、人間の文明史と価値観の根本に触れている。多くの人は、仕事を「稼ぐ手段」と捉えている。しかし、その捉え方は本当に人間の営みを表していると言えるのだろうか。むしろ、私たちのほうが時代に合わせて仕事の概念を狭くしすぎてきたのではないか。今、その狭さを問い直すときが来ている。

 収入としての仕事──そこには市場経済という巨大なフィルターがある。現代人は、どんな行為でも市場に乗り、貨幣に変換されれば「価値ある行為」とみなす傾向を持つ。料理を作れば家族にとっては日常だが、店で作れば収入になる。子どもを育てれば無給だが、保育士となれば給料が生まれる。同じ行動でも、貨幣が発生するかどうかで “価値の有無” を判断してしまうのである。

 しかし、それはあくまで市場という枠が与えた「社会的価値」にすぎない。市場が求めなければ、どれほど尊い行為でも収入にはならない。逆に、市場が欲するものであれば、どれほど無意味に見える行為でも高額な報酬が生まれることもある。つまり、収入とは本質的な価値ではなく、「交換可能だと他者から認められた価値」に過ぎない。そこに仕事の定義を閉じ込めてしまえば、人間の営みはあまりにも細く、貧しいものとなる。

 一方で、行動としての仕事という考え方がある。人類の長い歴史を振り返れば、仕事とはもともと「生き延びるための行為」そのものだった。狩り、採集、水汲み、道具づくり、子育て、介護──これらは報酬の有無とは関係なく、生命を支え、共同体を維持するために欠かせなかった。貨幣はなくとも行為は価値を持ち、価値があるからこそ人はそれを「仕事」と呼んだのである。この視点に立つと、仕事の本質は「価値を生む行動」であり、その行動がたまたま市場を通ったとき、収入として表れるだけだと理解できる。

 しかし現代は、貨幣価値として現れない行為を「見えないもの」として扱いすぎている。家庭のケア、地域の支え、文化活動、創造、学び直し、心を整える行為。これらは社会を静かに支え続けているにもかかわらず、貨幣にならないというだけで「仕事」とは呼ばれない。この過小評価こそ、私たちの社会が抱える深いひずみのひとつである。人間の営みが市場価値に偏りすぎた結果、無償の行為を支えるエネルギーが失われつつある。その疲労は、子育ての困難や孤立の増加、文化活動の衰退など、さまざまな形で社会に表れている。

 では、仕事とは何か。私はこう定義したい。
 仕事とは、「誰かのために価値を生み出す行動」である。
 そして、その一部が市場を通り、貨幣に換算されたときだけ収入として現れる。
 つまり、仕事のほうが広く、収入はその内部にあるひとつの領域に過ぎない。

 この定義に立てば、無収入の行動にも堂々と価値が認められる。たとえば、家族を介護する行為や、地域に時間を割く行為、誰かの悩みを受け止める行為、芸術や表現を通して心を支える行為──これらは間違いなく「仕事」である。それは貨幣には換算されにくいが、人間の存在価値を深く支える。私たちは「収入の有無」で線を引くことによって、こうした行為の尊さを見失ってきた。

 人生の後半に差し掛かるほど、「収入にならない仕事」の価値はむしろ増していく。第二の人生で輝くのは、貨幣に縛られた行動ではなく、自らの経験と成熟を生かし、他者を支え、社会に静かに寄与する行動である。たとえば、若者を励ます言葉、地域のための小さな実践、芸術や物語を通じて希望を示す表現、家族を包み込むような気配り──これらは金銭とは別の「人間の価値」を育てる仕事だ。収入はないかもしれない。しかし、人間の心を動かし、未来へ受け渡される力を持っている。

 私たちは今、仕事の再定義を迫られている。
 収入だけに価値を求める社会から、行動そのものの価値へと視点を広げるべき時代に来ている。人間の営みは市場の外に広がっている。貨幣に測れない領域こそ、人間の尊厳が宿る場所である。

 仕事とは、生きることそのものだ。
 どんな行為であれ、誰かの未来に光を灯すなら、それは立派な「仕事」なのである。