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タカーシャン
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novelistID. 70952
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人と自然の間に立つ棒

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人と自然の間に立つ棒

――熊見棒の思想――

 熊が出る山に入るとき、人は一本の棒を持つ。
 それは武器ではない。威嚇のためでもない。
 人が自然の中で、自らの位置を確かめるための「境界線」だ。

 山の奥で熊と鉢合わせるということは、言い換えれば、人間が忘れかけた自然の呼吸と再び出会うことでもある。
 熊見棒はそのとき、人間が無防備に踏み込んだ世界に対し、「ここに人がいます」と告げる唯一のメッセージになる。
 棒を持たぬ者は、自然の声を聞かぬ者。棒を持つ者は、自然と対話しようとする者である。

 熊見棒の先で草を払う。
 その音は、山に小さなリズムを生み出す。
 鳥が鳴き、風が渡り、葉が応える。
 人が持つ棒は、自然と調和するための「拍子木」のようなものだ。
 それは、文明が生まれる前、人が初めて「何かを持って生きる」ようになった原始の姿を思い起こさせる。
 棒こそ、道具の原点であり、祈りの象徴である。

 棒を持つと、人は自然に背筋を伸ばす。
 自分の身の丈を意識し、視界が開け、地面の感触に敏感になる。
 その姿は、自然に対して「傲慢ではなく、畏敬をもって歩む」人間の本来の形だ。
 熊見棒は、人と熊を隔てるものではなく、人と自然のあいだに立つ媒介である。

 近代以降、人間は科学と技術で自然を制御しようとした。
 山に入る者はGPSを持ち、音楽を流し、熊スプレーを備える。
 だが、便利さの影で、人間は「自然と向き合う感覚」を鈍らせていないだろうか。
 熊見棒は、その忘れられた“感覚のアンテナ”である。
 風の重さ、音の方向、獣の気配――それらを受け止めるセンサーが、棒の先にはある。

 棒を握ると、人は不思議と「構え」を意識する。
 それは闘いの構えではなく、生きる姿勢だ。
 どう向き合うか、どう距離を取るか、どう退くか。
 熊見棒は、人間のエゴと自然の力とのあいだに引かれた一本の線であり、その線の上に、命が立っている。

 熊を撃退するための棒ではなく、熊と共に生きるための棒。
 それは、人間が自然と「敵対」ではなく「共存」を選ぶための、静かな哲学である。

 熊見棒を持って山に入る人は、決して無謀ではない。
 それは、恐れを知り、敬意を払い、己の小ささを自覚する人だ。
 人間は自然に勝てない。だが、自然とともに在る知恵を持つことはできる。
 熊見棒は、その知恵を形にした一本の線、いわば「人間と自然の関係線」なのだ。

 現代社会に生きる私たちは、都市の中で目に見えない熊に囲まれている。
 情報の森、欲望の藪、感情の崖――それらは、いつ人を襲うか分からない。
 そんな時代こそ、心の中に一本の熊見棒が要る。
 それは、境界を確かめるための棒であり、静寂を取り戻すための棒だ。

 熊見棒を持つとは、
 「自然と共に生きる覚悟を持つ」ということ。
 それはまた、「自分自身と向き合う勇気を持つ」ということでもある。

 ――熊見棒は、人間の原点を思い出させる一本の杖である。