地球からの通知 ――生存サイクルの倫理――
生物は、食べて、生きて、排泄し、死に、還る。
その単純なサイクルの中に、生命の完全な仕組みがある。
食物を消費し、排泄物を廃棄する行為は、一見すれば汚れの連鎖のように見える。
しかしそれこそが、地球という大きな生命体の循環を支える根源的な機能である。
草を食べる動物、その糞が土を肥やし、微生物がそれを分解し、再び草が育つ。
この営みは、一瞬たりとも止まらず、無限に繰り返されてきた。
生命とは、循環する構造そのものだ。
そしてこの連鎖は、誰の所有物でもなく、誰かが管理できるものでもない。
だが現代の人間は、その自然サイクルを人工の回路に置き換え、
「廃棄」を切り離した瞬間から、生命の流れを歪め始めた。
大量生産、大量消費、大量廃棄。
食物も資源も、消えることなく蓄積し、分解されずに地球を覆いはじめている。
この停止した流れが、実は地球の病の原因である。
地球は、ただの惑星ではない。
それは巨大な生命体であり、皮膚のような大地を持ち、血流のような風と水を循環させ、
心臓のようなマントルを鼓動させている。
私たちは、その体内に棲む微生物のような存在だ。
だが、人間はこの母体を他者と見なし、利用する対象として扱ってきた。
オゾン層の破壊、気候の暴走、温暖化、豪雨、干ばつ。
これらは単なる自然現象ではなく、地球からの通知である。
「おまえたちの循環が滞っている」と。
排出しすぎた二酸化炭素、廃棄しすぎたプラスチック、奪いすぎた森林。
それらはすべて、地球の体内で未消化のまま滞留し、熱と圧を生んでいる。
地球は、自己修復を試みているのだ。
それが「自然災害」という形で現れる。
この警告を、私たちは「罰」としてではなく、「再構築の信号」として受け取る必要がある。
人間もまた、自然サイクルの一部であることを思い出すべきだ。
排泄や腐敗を「汚れ」として切り捨てる文化は、実は生の根を否定している。
命の終わりを拒む社会は、命のはじまりをも拒む。
自然界に“ごみ”という概念は存在しない。
すべては次の生命の材料となる。
循環とは、与え、受け取り、また返すこと。
そのリズムを取り戻すことが、これからの文明の課題である。
農業も産業もエネルギーも、人間中心から「地球中心」へと転換しなければならない。
人間が地球を所有するのではなく、地球が人間を生かしている――その関係性の再認識である。
今、地球は声を上げている。
異常気象という震え、氷河の涙、風の叫び。
それらはすべて、地球の神経系を通じて送られる通信である。
その声を聞く耳を持てるかどうかが、人類の成熟を決める。
食べること、排泄すること、生きること。
そのどれもが循環の一部であり、祈りに似ている。
自然のサイクルを尊び、流れに逆らわず、余分を残さずに生きる。
それは単なる環境論ではなく、生命哲学そのものである。
地球は人間に罰を与えているのではない。
ただ、調和を取り戻そうとしているのだ。
そのために必要なのは「恐れ」ではなく、「聴く力」である。
私たちがもう一度、自然の循環と対話できるなら――
地球はきっと、再び静かな呼吸を取り戻すだろう
作品名:地球からの通知 ――生存サイクルの倫理―― 作家名:タカーシャン



