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タカーシャン
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novelistID. 70952
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保険・予防接種・自衛隊 本質は同じ

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保険・予防接種・自衛隊 本質は同じ

病気にかかる前にワクチンを打つ。
事故や災害に備えて保険に入る。
戦争を起こさないために防衛力を持つ。

どれも「起きてからでは遅い」という一点において、
本質的には同じ構造をしている。
だが、人はこの三つをまったく違う感情で受け取っている。

保険には安心を感じ、
予防接種には抵抗感があり、
自衛隊には賛否がある。
備えの対象が「病」「ウイルス」「戦争」と変わるだけで、
心理の風景はまるで異なる。

人は、自分に直接関わる危険にはすぐ対処するが、
社会的・国家的なリスクには鈍感になる。
それは見えない時間軸の違いであり、
「いま」という安心が未来の危機を遠ざけている錯覚でもある。

保険が“経済の盾”、
予防接種が“免疫の盾”、
自衛隊が“国家の盾”。
それぞれ守る範囲が違うだけで、
理念は「未来の損失を最小化する」こと。

だが、保険やワクチンが
「加入」や「接種」という自発的行為であるのに対し、
自衛隊は“他者が代わりに備えてくれている”構造になっている。
ここに大きな心理的乖離が生まれる。
つまり「自分で備える」と「誰かが備えてくれる」は、
同じ『予防』でも感謝の方向が真逆なのだ。

予防接種は自分の体に打つが、
自衛隊は国家の体に打つワクチンである。
病気が発症しない限り、その効果は実感できない。
だからこそ、
「何も起こらない」ことが最大の成果であり、
同時に最大の虚無でもある。

本質を見れば、三者はすべて「リスクマネジメントの哲学」だ。
保険は“お金で備える”、
予防接種は“抗体で備える”、
自衛隊は“抑止力で備える”。
そしてその根底には、「人は弱い」という共通認識がある。

文明は進んでも、人間は完全には強くならない。
だから社会は「備え」という形で、
不完全な自分を支えるシステムを作ってきた。

しかし問題は、備えが整えば整うほど、
そのありがたみが見えなくなることだ。
病気が流行らなければワクチンの意味を忘れ、
事故が起きなければ保険を軽視し、
戦争がないと自衛隊の存在を疑問視する。

それが平和のパラドックス。
守られていることに気づかないほど、
社会は平和になっている。

けれども、備えが形骸化すれば、
再び危機は訪れる。
つまり、備えは「常に意識されていなければならない」ものだ。

保険も、予防接種も、自衛隊も、
すべて「平時の哲学」である。
平和や健康や安全の裏には、
見えない準備の汗がある。

その価値を“当たり前”にしてしまうことこそ、
最大のリスクではないだろうか。