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タカーシャン
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novelistID. 70952
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官能の孤島化――感じすぎる時代の病理と希望

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官能の孤島化――感じすぎる時代の病理と希望

近年の凶行や事件の陰には、「感じる力」の暴走がある。
それは理性の欠如ではなく、むしろ感性の過剰が出口を失った結果だ。
人間の根源的な官能――“生の熱”が、現代社会では行き場をなくしている。
閉じた快楽が、破壊の幻想へと転化する前に、
いま私たちは「感じる」という人間の根本を、もう一度開き直る必要がある。



  閉じられた感性という現代病

 現代人はかつてないほど多くの刺激に晒されながら、同時に、かつてないほど「鈍く」なっている。
 感覚が麻痺し、感情が均質化し、感性の深みが恐れられる。
 社会は、感じすぎる人間を「不安定」と呼び、
 情熱的な心を「過剰反応」と診断する。
 こうして、官能――つまり「感じ取る力」は、社会的に排除されてきた。

 しかし、感じることを抑圧されたエネルギーは、消えない。
 それは地下水のように滲み、匿名のネット空間や閉鎖的共同体に集まる。
 近年の事件の中には、内省化した感性の同調圏が存在している。
 同じ痛みを抱える者同士が、互いを鏡にして自己を強化する。
 理解よりも同調が支配し、批評よりも共感が肥大化する。
 結果として、世界観が閉じ、現実との接点が消える。
 “気密内省化”――それが今、社会の新たな病理である。



  官能とは、本来「開く力」である

 官能とは、性ではなく、生である。
 それは世界の細部に触れ、命の震えを受け取る感性だ。
 風の温度、他者の沈黙、光の粒――
 そうした微細な世界の呼吸を感じ取る者は、すでに官能的存在である。

 だが、この感性が外へ開かれず、内側に溜まると、
 愛は執着へ、情熱は妄信へ、欲求は破壊へと変わる。
 感じることは本来、世界との交流である。
 それを“自己の内側だけ”で完結させたとき、官能は孤島化する。



  「閉じた快楽」から「共有される美」へ

 官能のエネルギーを暴走させないために必要なのは、抑圧ではない。
 それは古来より多くの芸術家たちが示してきた通り、昇華である。
 感じたものを「創る」へと変えること。
 愛や痛みや衝動を、美・表現・思想として外に出すこと。

 この“表現の回路”がない社会では、人は衝動を処理できない。
 人間に必要なのは、理性による統制ではなく、
 感性を解放しうる文化的装置である。
 詩、音楽、哲学、対話、身体表現――
 それらは官能の防波堤であり、社会の免疫である。



  感じることを恐れない社会へ

 官能的感性は、犯罪の萌芽にも、創造の源泉にもなる。
 違いはただ一つ――「開かれているか、閉じているか」。
 感じることを恥じず、語り、共有できる社会。
 孤独な感性が孤立せずに表現できる環境。
 それこそが、感性社会における新たな倫理である。

 エロス(愛欲)は、タナトス(死)と背中合わせの力を持つ。
 だからこそ、感じることを罪にせず、
 その力を「生の表現」へと解き放つことが、
 現代人の課題であり、人類の希望でもある。



〈結語〉

 感じるとは、生きること。
 そして、開くとは、愛すること。
 この二つの橋を、もう一度人間の手で架け直すとき、
 官能は破壊ではなく、創造のエネルギーとして蘇る。