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タカーシャン
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novelistID. 70952
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純愛という名の永遠

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純愛という名の永遠

――触れられないからこそ、壊れないもの――

詩:純愛

手も届かず
苦しむ

それが
永遠に続く

理想のまま
近づけない

触れた瞬間に
壊れてしまう気がして

だからこそ
怖いもの

そして
美しいもの



【Ⅰ】純愛とは「不完全の完成」である

純愛は、完全に結ばれることのない愛を指す。
それは、手に入らない理想の相手であり、届かない感情の頂である。
しかし人はなぜ、そのような“叶わぬ愛”に惹かれるのだろうか。

心理学者ユングは、人間の深層に「アニマ(内なる異性像)」を宿すと言った。
私たちは外界の相手を愛しているようで、実は心の中の理想像を追っている。
純愛とは、その理想像を現実に投影したときに生まれる幻影であり、
手が届かないからこそ「永遠」という名の光を帯びる。

純愛が「苦しい」のは、実現しないからではなく、
理想と現実の間に橋を架けようとするその行為自体が、人間の宿命だからだ。
叶わぬ恋に生きる人ほど、実は最も“生きている”とも言える。



【Ⅱ】結婚は、純愛の終着ではなく「変態」である

多くの人が誤解しているが、純愛の先に結婚はない。
結婚は、愛の“終点”ではなく、“変態(メタモルフォーゼ)”だ。

純愛は、永遠を信じる夢。
結婚は、日常を共に生きる現実。

純愛が「永遠」を求め、結婚が「継続」を求めるなら、
そのベクトルは決して同じではない。
むしろ、純愛を保ったまま結婚すると、人は現実に耐えきれずに壊れてしまう。

だからこそ、成熟した愛は「純愛を手放す勇気」を持つ。
理想の相手を失ってでも、目の前の人と生きる覚悟を選ぶ。
それは妥協ではなく、永遠という幻想を日常に翻訳する行為である。



【Ⅲ】触れられないものへの祈り

「触れた瞬間に壊れてしまう気がして」
この一行は、愛の本質を突いている。

人間は、ほんとうに大切なものほど触れられない。
亡き人の記憶も、少年の日の初恋も、
触れようとした瞬間、現実の温度で消えてしまう。

だからこそ、人は“触れないでいる勇気”を選ぶ。
その距離が、祈りになる。

純愛とは、祈りの形式をとった愛である。
求めながらも壊さぬように、見つめながらも抱きしめぬように、
人はその愛を「遠くから守る」。

それが、最も人間的な美しさなのかもしれない。



【Ⅳ】永遠は、近づけないことの中にある

純愛が「怖い」のは、終わらないからだ。
時間が止まったまま、理想の姿で凍結してしまう。
それは死のように静かで、しかし生き続ける。

触れられないもの、手に入らないもの、
その“距離”こそが永遠を生む。
逆説的だが、距離をなくした瞬間、永遠は終わる。

したがって――
純愛とは、永遠に届かないことで成立する。
それは未完の完成、欠落の完全。
そして、人生という儚い時間の中で、
「永遠」に触れうる唯一の方法なのかもしれない。



結論:
純愛の先に結婚はない。
だが、結婚の中に“もう一度、純愛を見つけ直す”ことはできる。

永遠を追う者は、現実を恐れ、
現実を生きる者は、永遠を懐かしむ。
そのはざまに立ち、
人は今日も、名もなき愛を育てている。