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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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『みちのく非常事態宣言』

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『みちのく非常事態宣言』

東北の山々に、奇妙な静けさが続いていた。
村人たちは口を揃えて言った。
「あの熊どもは、もう“獣”じゃねえ」

はじめは、ただの熊害だった。
だが彼らは群れをつくり、罠を見抜き、夜にしか現れなくなった。
リーダー格の大熊――「苦魔グレ」。
その名は、山の者たちが恐怖のあまり「悪魔(くま)」と呼び始めたことからついた。

噂では、人間の声を真似て仲間を誘い出し、
獲物のように襲うという。
被害は拡大し、ついに政府は異例の「みちのく非常事態宣言」を発令。
陸上自衛隊が山岳地帯へ派遣されることとなった。

現場を率いるのは、かつて熊の保護活動にも関わった青年隊長・南雲仁。
彼は皮肉な任務に戸惑いながら、出発前にこう漏らした。
「人間が山を奪ったのか、山が人間を拒んだのか──
 どっちの戦争なんだろうな」

その夜、隊が山中に入ると、
木々の間から低い唸り声が響いた。
サーモカメラに浮かぶ影は、想定を超えていた。
熊の群れが整然と列をなし、まるで訓練された兵のように動いていたのだ。

やがて、森が息を呑んだ。
「グォォ……」
それは雄叫びではなく、警告だった。
“熊”が、“人間”に戦を宣言した瞬間である。



“苦魔グレ族”の誕生

南雲隊長は、熊の巣と思われる山奥の洞窟で、異様なものを見つけた。
それは、人間のごみだった。

ペットボトル、電池、化学薬品の空容器、廃棄された冷蔵庫──。
どれも十数年前、下流の産業廃棄物場から流れ着いたものだ。
だが、そこに巣くう熊たちは、ただの野生動物ではなかった。

彼らは発光する目をもち、
仲間同士で低い唸り声を交わしながら“会話”していた。
まるで、言葉を作り出す途中のように。

南雲は気づく。
「これ……放射性物質が混じってる」

十年前、近隣の研究所から漏出した生体刺激廃液(コード名:グレ)。
廃液は下水から川へ、川から山の土壌へと入り込み、
熊たちの体内に蓄積していた。

その結果、熊の神経伝達系が異常発達し、
「群れ知能(ハイブマインド)」を形成した。
ひとりの熊が見た映像を、群れ全体が共有する。
一匹が学べば、全員が学ぶ。

そしてある日、彼らは学んだ。
「人間は山を壊す存在である」

以後、熊たちは山中の監視カメラを次々と破壊し、
廃棄物を逆に「武器」として利用しはじめた。
鉄片を爪に巻きつけ、電線を切り、
さらには発電所近くで電磁波を操作する行動まで確認された。

政府の調査報告書には、こう記されている。

《彼らは進化したのではない。我々の“文明”を写し取ったのだ。》



声の夜明け

夜の山は、音を呑みこんでいた。
月は薄く、風はなく、
ただ、焼け焦げた木の匂いだけが谷を漂っていた。

南雲隊長の部隊は、廃寺に設けた前線拠点にいた。
熊たちは昼間の爆撃のあと、ぱたりと姿を消した。
だが、センサーには、ひとつの巨大な反応が――
ゆっくりと、確実に近づいていた。

「……来るぞ。」

隊員たちが銃を構えた瞬間、
山の闇が形を持った。

その熊は、他と違った。
片目に深い傷、肩には鉄の板を巻き、
首からは古びたお守りが下がっていた。
それが“苦魔グレ”だった。

誰も息をしなかった。
次の瞬間、熊の喉から、
人間のような響きが漏れた。

「……ナグモ」

南雲は凍りついた。
自分の名を呼ばれたのだ。

「おまえ……なぜ……」
声が震える。

苦魔グレはゆっくりと顔を上げ、
月光の中で牙を光らせた。

「ヒト……クマ……オナジ……」

途切れ途切れの発音。
しかし、確かに意味を持っていた。
南雲は銃を下ろし、
ヘルメットのマイクを切った。

「何を……望む?」

熊は沈黙したまま、背後の森を見つめた。
そこには、無数の瞳が光っていた。

そして、再び言葉が落ちた。

「……山、カエセ」

風が吹いた。
山全体が、その声に応えるように、ざわめいた。

南雲の胸に、電流のような痛みが走る。
「……山を返せ」――
それは怒りではなく、祈りだった。

苦魔グレは一歩前に出ると、
人間の捨てた金属片を地面に置いた。
そこには、錆びた政府の標識が刻まれていた。

「自然再生プロジェクト」

南雲は理解した。
彼らが奪おうとしているのは命ではなく、
奪われた居場所の記憶だったのだ。

熊が、再び喉を鳴らした。
「……ヒト……モドレ」

それは命令ではなかった。
懇願の声だった。

夜空に、流れ星が一筋落ちた。
南雲は銃を静かに地面に置いた。
「……わかった。
 もう一度、帰ろう。人間も、山に。」

熊の目が、わずかに柔らいだ。
それが“和解”か“終戦”か、
誰にもわからなかった。

ただ――その夜を境に、
熊も人も、二度と互いの領域を越えることはなかった。



山、眠るところ

五年の歳月が流れた。
南雲仁は制服を脱ぎ、山の麓の町に戻っていた。
自衛隊の報告書には「熊群体、壊滅」と記されたまま、
誰も真実を確かめようとはしなかった。

だが、彼の耳にはあの夜の声が残っていた。
――ヒト、モドレ。

春の終わり、南雲は一人で山に入った。
木々は新しい芽をつけ、
かつての戦場は、緑に覆われていた。
焦げた跡も、壕も、鉄の匂いももうない。
ただ、鳥の声と、水のせせらぎがあった。

登りつめた尾根の先、
風の通る小さな窪地に、それはあった。

岩肌を削り、
人の手とも、熊の爪ともつかぬ跡で刻まれた石碑。
そこに、読めぬはずの文字が、確かに刻まれていた。

「グマ」

南雲は手を触れた。
石は冷たく、けれどどこか、体温を残していた。

まわりには、無数の骨。
小さなもの、大きなもの。
人ではない。
熊でもない。
それは、二つの種が交わり、
一つの祈りになったような形だった。

南雲は静かに帽子を脱いだ。
「……すまなかった」
その言葉は風に消え、
どこからか低い唸りが返ってきた気がした。

山は、答えなかった。
ただ、光が差した。
雲間からこぼれた一筋の陽が、
墓碑の上に落ち、苔を金色に染めた。

南雲は思った。
「自然は、赦すために沈黙しているのかもしれない」

振り返ると、
山桜がひとひら、彼の肩に舞い落ちた。

その瞬間、
谷の向こうから――
聞こえた気がした。
「……ナグモ……」

彼は微笑んだ。
そして、深く頭を下げた。

それが、人間としての最後の敬礼だった。



人は、山を征服したと思っていた。
鉄を打ち、道を通し、電波を飛ばし、
自然を「便利」という名の檻に閉じ込めてきた。

だが、山は沈黙のまま、
すべてを見ていた。

焼け跡に芽吹く草、
水に還る灰、
風に乗って運ばれる花粉。
それらは、語らずして赦す。

南雲が見つけた“熊の墓碑”は、
自然が文明を拒んだ証ではなく、
文明を受け入れた最後の記録だったのかもしれない。

石に刻まれた「グマ」の文字――
それは、熊の名であり、群れの名であり、
そして「グマ(God-Machine)」――
神と機械の融合を暗示する、
自然のほほえみでもあった。

南雲は思う。
文明とは、自然から切り離されたものではなく、
自然が「人間」という形で試みた自己表現なのだ、と。