介護とは蚕である
介護とは、蚕である。
この言葉がふと浮かんだとき、自分でも不思議に思った。けれど考えれば考えるほど、その比喩の中に人の営みの本質が見えてきた。
蚕は、声をあげない。
ただ静かに、淡々と自分の体から糸を吐き、繭をつくる。
その糸は、自分を包みながら、やがて他者の衣をもつくる。
介護もまた、似ている。
相手を支え、包み、守るために、自分の時間や体力や感情を少しずつ差し出していく。
それは目立たないし、報われないこともある。けれど、その糸がなければ、誰かの「生」は冷たくほどけてしまう。
介護する人は、いつも「誰かの繭」をつくっているのだと思う。
眠れぬ夜の見守りも、何度目かの着替えも、繭の糸の一筋。
やがてその中で、介護される人が安らぎを取り戻していく。
同時に、介護する側もまた、心のどこかで新しい自分を育てている。
包む者が、包まれる。
与える者が、癒される。
この双方向の不思議な循環こそ、介護の中にある「生命の秘密」だと思う。
「かいご」と「かいこ」。
たった一文字違いなのに、響きはよく似ている。
どちらも「いのちを紡ぐ」存在であることを、日本語は知っていたのかもしれない。
静かに糸を吐き続ける蚕のように、人もまた、誰かを思うとき、見えない糸を吐いている。
それは愛という名の繭を、この世界に残していく行為なのだ。