記憶という棘
人は、ほとんどすべてを忘れて生きている。
昨日の食事の味も、通り過ぎた風の匂いも、
街で見かけた誰かの顔も、
一日の終わりにはもう霞んでしまう。
それでも、心の奥にはひとつだけ——
棘のように抜けずに残る記憶がある。
それは、痛みを伴った瞬間。
誰かの言葉、別れの場面、恥ずかしさ、悔しさ、裏切り、喪失。
人は幸福よりも痛みを深く覚える。
なぜなら、痛みだけが「生」を刻印するからだ。
忘却とは、生命の防衛機能である。
それがなければ人は過去に押し潰されてしまう。
だが、完全には消えない。
棘のような記憶が、皮膚の下で微かに疼きながら、
「二度と同じ過ちはするな」と囁く。
その小さな痛みが、
人を慎重にし、やさしくし、ときに臆病にする。
だがそれは同時に、人を人たらしめる証でもある。
記憶が痛みを帯びるのは、
生きているという感覚を忘れないためだ。
全てを忘れてしまえるなら、
生きることはもっと軽やかかもしれない。
しかし、棘を一本も持たない人間は、
風に吹かれた砂のように、
どこにも根づけないだろう。
だから私たちは今日も、
心の奥に一本の棘を抱えたまま、
また新しい一日を始める。
それは痛みではなく、生の証明なのだ。