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タカーシャン
タカーシャン
novelistID. 70952
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一ヵ月分の情報という名の海

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一ヵ月分の情報という名の海

人は、一ヵ月のあいだに、どれほどの情報を受け取っているのだろう。
数にすれば膨大だ。科学者たちの試算では、脳は毎秒にして一千万ビット以上を感覚として浴びているという。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚——それらは絶えず世界を流し込み、
私たちはそのただ中で「生きている」というより、「流されている」と言ってもいい。

しかし、記憶できるのはそのごくわずかだ。
脳は情報を削り、捨て、圧縮しながら、
ほんの数秒の表情や、雨の匂いのような断片だけを拾い上げる。
つまり、人の一ヵ月の情報量とは、「得たもの」ではなく「失われたものの総量」でもある。

私たちは多くを見ているようで、実際には見逃している。
多くを聞いているようで、実際には聞き流している。
そしてその「欠落」こそが、私たちの世界を形づくっている。
なぜなら、記憶とは取捨の芸術だからだ。

たとえば、ふとした会話の一言が心に残るとき、
それは数十億の情報の中から偶然選ばれた「一点の光」である。
その光が積み重なり、私たちは「今月の自分」「今の心」を形づくる。
そう考えると、一ヵ月とは時間の単位ではなく、
自分が選び取った世界のかたちなのかもしれない。

情報化社会と呼ばれる現代では、
受け取るデータの量は過去の何千倍にも膨れ上がった。
だが、心が処理できる容量は昔と変わらない。
だからこそ、情報を浴びるほどに、私たちは「何を見ないか」を決める必要がある。

沈黙を選ぶこと。
間を置くこと。
何も得ない時間を持つこと。
それらは、現代における新しい“知性”のかたちなのだろう。

そして月末になったとき、
ふと空を見上げて思う——
この一ヵ月、どれだけの光が通り過ぎたのだろう、と。
覚えていないことのほうが、たぶん美しい。
なぜなら、記憶に残らなかった出来事のなかにこそ、
生きるという無意識の豊かさが宿っているのだから。